年代別– category –
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80年代AOR
外した2曲が別の映画でヒットした──Journey『Frontiers』(1983)
プレス直前に外された「Only the Young」「Ask the Lonely」は別々の映画で Hot 100 9位・Mainstream Rock 3位に。ヒット2曲を手放して6×プラチナに至った本作を差し替えから読む。 -
80年代AOR
1962年から借り、1994年に貸した──Michael McDonald『If That’s What It Takes』(1982)
「I Keep Forgettin'」は1962年の Leiber & Stoller 曲との類似で作者が4人になり、12年後に Warren G「Regulate」へ4小節貸し出された。単独作2曲のソロ・デビュー作を「借りと貸し」で読む。 -
70年代AOR
39年間、誰も再現できなかった夜──Christopher Cross『Christopher Cross』(1979)
1981年2月25日、最高6位のアルバムと1週だけ1位の「Sailing」が『The Wall』を退け、グラミー主要4部門を史上初めて独占。Billie Eilish が並ぶまで39年かかった夜から、Austin の4人と Burbank の客演の二層構造を読む。 -
70年代AOR
新人賞の候補は、すでにグラミーを持っていた──Toto『Toto』(1978)
1979年2月、最優秀新人賞の候補になった Toto。だが Paich は2年前に「Lowdown」でグラミーを受賞済み、Porcaro は20歳で Steely Dan を叩いていた。最も経歴の厚い「新人」のデビュー作を読む。 -
70年代AOR
2枚組が42分に縮むまで──Eagles『The Long Run』(1979)
18か月、5つのスタジオ、当初は2枚組。残ったのは10曲42分。しかもその核心は新加入者の未完成曲、映画のための曲、電話で生まれたサビだった——「削られた」アルバムを、外から来た曲と内側の曲の温度差で読み直す。 -
80年代AOR
自分のドラマーが、同じ夜に6つ獲った──Donald Fagen『The Nightfly』(1982)
1983年のグラミーで7部門候補・受賞ゼロ。負けた5部門の勝者は、本作8曲中5曲でドラムを叩いた Jeff Porcaro の Toto だった。全編デジタル録音の初ソロ作を、その夜のねじれから読む。 -
70年代AOR
候補8曲のうち2曲が同じ盤から──Doobie Brothers『Minute by Minute』(1978)
1980年のグラミー Song of the Year 候補8曲のうち2曲が、同じアルバムの同じ作者 Michael McDonald だった。だが受賞の夜、その2曲を録音した6人のうち2人はもうバンドにいない。 -
70年代AOR
プラチナを受け取ったドラマーは機械だった──Steely Dan『Gaucho』(1980)
1981年1月22日のプラチナ認定で、Roger Nichols 自作のドラム・コンピュータ Wendel にも額が贈られた。4人の名ドラマーと1台の機械が7曲をどう分け合ったかを軸に読む。 -
70年代AOR
タイトルの意味は「ない」、ヒットは「事故」──Boz Scaggs『Silk Degrees』(1976)
Boz Scaggs 自身が「何も意味しない」と語るタイトルと、誰も出す気のなかったシングル「Lowdown」。Cleveland の DJ が盤からかけた偶然が、500万枚とグラミーに至るまでを「計画の外側」から読む。 -
80年代AOR
9位の曲と40年目のダイヤモンド──Journey『Escape』(1981)
1981年、シングル3番手の9位だった「Don't Stop Believin'」。2007年の『The Sopranos』最終回から再点火し、2021年にアルバム本体をダイヤモンド認定へ押し上げた。二度チャートを生きた1枚を読む。