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The Nightfly – Donald Fagen 完全レビュー|Steely Dan 解散後、「完全に完璧な」AORソロ作(1982)

The Nightfly - Donald Fagen レビュー
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1982年10月、Donald Fagen は Steely Dan 解散(1981)後の初ソロ・アルバム『The Nightfly』を発表した。Walter Becker と袂を分かったあと、ニュージャージーの少年だった50年代後半の自身の記憶——深夜放送のジャズDJ、フィン・ラジオ、原子力の希望、冷戦の緊張——を題材に、Aja/Gaucho で確立した完璧主義の音響語彙をさらに研ぎ澄ました本作は、Billboard 200 で11位、グラミー賞7部門ノミネートという大成功を収めた。AOR/ジャズ・ロックを愛する人なら一度は通る “完成形” の1枚であり、80年代AOR・デジタル録音時代の幕開けを告げた歴史的傑作である。

Donald Fagen - New Frontier (Official Video)
目次

このアルバムを聴くべき3つの理由

  • “I.G.Y.” — AORを代表する1曲。1957年の国際地球観測年に託した未来への希望を、Larry Carlton のギターとともに鳴らす5分
  • Steely Dan の “湿った密度” から一転、デジタル録音による “乾いた解像度” を実現。Roger Nichols エンジニアリングの分水嶺
  • 全8曲、捨て曲なし。AORアルバムでこれほどコンセプトと音質が両立した作品は他に類を見ない

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背景:解散の翌年、ソロ・デビュー

『Gaucho』(1980) のリリース後、Fagen と Becker は事実上の活動停止に入った。Becker は深刻な健康問題と私生活の混乱からハワイへ移住、Fagen はニューヨークに残って次の構想を温めていた。Walter Becker との解散発表は1981年6月。それから1年半、Fagen はソロ作の構想に没頭する。

本作のコンセプトは “1958年〜1960年代初頭、ニュージャージーで育ったある少年の内面の記憶”。深夜のジャズDJ番組、ボサノヴァの輸入盤、地球物理学への憧れ、冷戦下の不安と希望——Fagen が10代を過ごした時代の “音風景” が、80年代の最新デジタル機材で再構築される。Steely Dan が架空のキャラクターを通して書いてきたのとは対照的に、ここでの主人公はあくまで Fagen 自身、もしくは Fagen のような少年である。

制作は1981年〜1982年、ニューヨークの Soundworks Studios を中心に。エンジニアは Steely Dan 時代から続投の Roger Nichols。本作で Nichols は、3M 社の 32トラック・デジタル録音機を全編で初めて使用。これは商業ポップス界における最初期のフル・デジタル録音作品のひとつであり、後の AOR/ポップス録音技術全体に決定的な影響を与えた。

全曲レビュー(Side A → Side B)

Side A

1. I.G.Y.(International Geophysical Year)(6:04)★ ティアA

1957年〜1958年に開催された “国際地球観測年” を題材にした、未来への希望と冷戦下のアイロニーが同居する代表曲。ジェームズ・ガッドソン(James Gadson)の極めて控えめなドラム、Marcus Miller のメロディアスなベースライン、そして Larry Carlton の珠玉のギター・ソロ——どれもが “明るく抑制された” Fagen の歌唱を完璧に支える。”What a beautiful world this’ll be” のフレージングは、AOR を一言で説明するうえでこれ以上の例はない。

2. Green Flower Street(3:42)

東洋系の女性と恋に落ちる白人の少年の物語。Steve Khan のフラメンコ風のギターと、Hugh McCracken のスライドが、フィルム・ノワール的な情景を立ち上げる。歌詞はやや時代を感じさせるが、メロディの完成度は本作中でも屈指。

3. Ruby Baby(5:42)

Drifters の1956年のヒット曲のカバー。原曲のドゥーワップ感を残しつつ、80年代AORの語彙で全面的に再構築。Pretenders のドラマー Jeff Porcaro(Steely Dan で長年共演)が叩く、絶妙にレイドバックしたシャッフルが秀逸。コーラスに Zach Sanders ら黒人ボーカル陣を起用し、白人少年が憧れた “あの音” を完璧に蘇らせる。

4. Maxine(3:51)

高校生の恋を描いたバラード。多重録音されたコーラスとピアノだけのシンプルなアレンジが、逆に詞の繊細さを際立たせる。本作中もっとも抑制された曲。

Side B

5. New Frontier(6:21)★

核シェルターでパーティーを開く話。Kennedy 政権の “ニュー・フロンティア” 演説をタイトルに、冷戦の終末論的不安をパーティー・ミュージックで包んだブラック・ユーモア。MTV 黎明期に話題となったアニメ調 MV も制作され、Fagen のヴィジュアル戦略の一翼を担った。

6. The Nightfly(5:48)★

タイトル曲。深夜のジャズ・ラジオ局 WJAZ の DJ “Lester the Nightfly” の独白。”I’m Lester the Nightfly, hello Baton Rouge…” と始まる、Fagen の歌唱史で最も親密なフレージング。Larry Carlton のソロも、ジャズの語彙でレイドバックの極み。アルバムのジャケットに描かれた、煙草を片手にマイクを握る Fagen の姿——あれが Lester the Nightfly である。

7. The Goodbye Look(4:51)

カリブ海のリゾートで革命に巻き込まれる白人観光客の歌。スティールパン風のシンセが効いた、Fagen 流の “亜熱帯AOR”。

8. Walk Between Raindrops(2:38)

マイアミ・ビーチでの恋愛模様を、2分38秒で軽やかに描き切るクロージング。ハモンドオルガンが鳴る、ジャズ風スイング・ナンバー。アルバムを軽快に閉じる絶妙な終わり方。

参加メンバー(豪華絢爛)

  • Drums: Jeff Porcaro, James Gadson, Steve Jordan, Ed Greene
  • Bass: Marcus Miller, Anthony Jackson, Will Lee, Chuck Rainey
  • Guitar: Larry Carlton, Hugh McCracken, Steve Khan, Rick Derringer
  • Keyboards: Donald Fagen, Greg Phillinganes, Michael Omartian, Rob Mounsey
  • Sax: Michael Brecker
  • Backing Vocals: Zach Sanders, Frank Floyd, Gordon Grody, Daniel Lazerus
  • Producer: Gary Katz / Engineer: Roger Nichols, Daniel Lazerus

Steely Dan 時代から続く Gary Katz/Roger Nichols のチームに加え、80年代AOR を代表するセッション陣が結集。Larry Carlton と Jeff Porcaro はもちろん、Marcus Miller、Michael Brecker といったジャズ・フュージョン界の若手筆頭もここで Fagen の名簿に名を連ねた。

デジタル録音の “乾いた解像度”

本作は商業ポップス史上、最初期にデジタル録音された作品の一つである。Roger Nichols の3M デジタル機材は、Steely Dan の Aja/Gaucho で培われたアナログ録音の “湿った密度” から、まったく異なる “乾いた解像度” を獲得した。シンバルの空気感、エレピのアタック、ベースの粒立ち——どれもが従来のAOR作品とは異質な精度で記録されている。

結果として本作は、アルバムジャケットに当時としては異例の “Recorded Digitally” のクレジットが入れられた。リファレンス録音として今もオーディオファンに愛されており、SACD、Blu-spec CD、HQCD など、繰り返しリマスター盤がリリースされている。深夜の小音量再生で、シンセとアコースティック楽器の混在する音響密度を確認してほしい。

このアルバムの位置付け

  • 1980: Steely Dan『Gaucho』(最後のグループ作)
  • 1981: Steely Dan 解散
  • 1982: Donald Fagen『The Nightfly』(本作、AORソロの完成形)
  • 1993: Donald Fagen『Kamakiriad』(11年ぶりの第2作)
  • 2000: Steely Dan『Two Against Nature』(19年ぶりの再結成作)

Steely Dan の『Gaucho』と Donald Fagen の『The Nightfly』は、双子のように対をなす作品である。前者が “湿った完璧主義”、後者が “乾いた完璧主義”。両者を続けて聴くことで、AOR が80年代に何を達成したかが鮮明に浮かび上がる。

私的な感想——少年期の “光” の音

『The Nightfly』を最初に通して聴いたとき、僕は20代後半だった。”I.G.Y.” の “What a beautiful world this’ll be” のリフレインが、自分が10代だった頃に抱いていた根拠のない楽観への懐かしさを呼び起こした。Fagen が描いている1958年の少年は、間違いなく80年代の少年でも、いまの少年でもあった。

このアルバムを夜中に小音量で聴くと、なぜか部屋の温度が1度下がるような気がする。それは録音の “乾いた密度” が空気を運んでくるからだろう。AOR を一枚だけ薦めろと言われたら、僕は『Aja』でも『Toto IV』でもなく、迷わずこの『The Nightfly』を選ぶ。少年期の “光” の音が、この5分20秒(”I.G.Y.”)の中に、完璧に閉じ込められている。

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