1979年2月15日、第21回グラミー賞の「最優秀新人賞」の候補に、Toto の名前があった。同じ欄に並んだのは The Cars、Elvis Costello、Chris Rea、そして A Taste of Honey。受賞したのは「Boogie Oogie Oogie」で前年に全米1位を獲ったディスコ・デュオで、Toto は候補止まりだった。
ところがこの「新人」のキーボード奏者 David Paich は、ちょうど2年前の第19回グラミーで、Boz Scaggs と共作した「Lowdown」により最優秀 R&B 楽曲賞をすでに受賞している。ドラマーの Jeff Porcaro は20歳で Steely Dan『Katy Lied』のほぼ全曲を叩き、ベースの David Hungate は『Silk Degrees』の低音を支えた。デビュー作『Toto』は、最も経歴の厚い「新人」が出した1枚である——本稿はこのねじれを軸に読む。
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1979年2月15日——「新人」の欄に並んだ5組
第21回グラミーの最優秀新人賞は、1978年に頭角を現した5組の争いだった。ニューウェイヴ側の The Cars と Elvis Costello、英国の Chris Rea、ディスコの A Taste of Honey、そしてロサンゼルスのスタジオから出てきた Toto。結果は A Taste of Honey。後年 Rolling Stone が「The Cars か Costello のほうがふさわしかったのでは」と振り返る、議論の残る年である。
ただ落選そのものより「新人として候補になった」事実のほうが面白い。2年前、1977年2月の第19回では、Paich が Scaggs と並んで最優秀 R&B 楽曲賞のトロフィーを受け取っている。受賞者が2年後に新人候補になる——新人賞が「アーティスト名義」で判断されるからこそ起きた現象である。
1975年、1976年、1977年——履歴書はすでに厚かった
デビュー前の3年間に絞って並べてみる。Jeff Porcaro は1975年3月発売の Steely Dan『Katy Lied』で、Hal Blaine が叩いた1曲を除く全曲のドラムを担当した。当時20歳。Paich も同作で数曲、キーボードのサポート・パートを弾いている。
翌1976年2月18日に出た Boz Scaggs『Silk Degrees』は、Paich/Porcaro/Hungate の3人が事実上のハウス・バンドとして参加し、Billboard 200 で2位、チャートに115週とどまり、RIAA 5×プラチナに達した。Paich は「Lowdown」(Hot 100 で3位)をはじめ複数曲を Scaggs と共作している。そのツアー・バンドに Porcaro の弟 Steve Porcaro と10代の Steve Lukather が加わり、6人のうち5人が揃う。
1977年、Three Dog Night の元バック・メンバーが組んだ S.S. Fools から Bobby Kimball がヴォーカルのオーディションに来て、6人目が決まる。同年 Columbia Records と契約。スタジオに入った時点で、彼らの名前はすでに何十枚ものクレジットに刷られていた。
| 年 | 作品 | 関わったメンバー | 成績 |
|---|---|---|---|
| 1975年3月 | Steely Dan『Katy Lied』 | Jeff Porcaro(ds、1曲除く全曲)/David Paich(key、数曲) | — |
| 1976年2月 | Boz Scaggs『Silk Degrees』 | Paich(key、共作)/Porcaro(ds)/Hungate(b) | Billboard 200 2位/RIAA 5×プラチナ |
| 1977年2月 | 第19回グラミー | Paich(「Lowdown」共作者) | 最優秀 R&B 楽曲賞 受賞 |
| 1979年2月 | 第21回グラミー | Toto(6人) | 最優秀新人賞 候補(受賞は A Taste of Honey) |
9か月、3つのスタジオ——新人らしくない録り方
録音は1977年10月から1978年6月までの9か月。場所はロサンゼルスの Sunset Sound、Studio 55、Davlen Sound の3か所を使い分け、プロデュースはバンド自身、ミックスは Tom Knox、録音エンジニアは Dana Latham と Gabe Veltri が務めた。外部プロデューサーを立てず、3つのスタジオで9か月——デビュー・バンドではなく、現場を知り尽くした人間の工程である。
クレジットにはもうひとつ、この家系ならではの名前がある。弦のアレンジは Paich の父 Marty Paich と Sid Sharp、パーカッションには Porcaro 兄弟の父 Joe Porcaro。ホーンは Chuck Findley と Jim Horn。初仕事に集まったのは、彼らが長年隣で仕事をしてきた顔ぶれだった。
| リリース | 1978年10月 / Columbia Records |
| 録音 | 1977年10月〜1978年6月 / Sunset Sound, Studio 55, Davlen Sound(ロサンゼルス) |
| プロデュース | Toto |
| エンジニア | Tom Knox(mix)/Dana Latham, Gabe Veltri(rec) |
| マスタリング | Mike Reese, Ron Hitchcock / The Mastering Lab |
| バンド | Bobby Kimball (vo) / Steve Lukather (g, vo) / David Paich (key, vo) / Steve Porcaro (key, vo) / David Hungate (b) / Jeff Porcaro (ds) |
| 客演 | Cheryl Lynn (vo) / Marty Paich, Sid Sharp (strings) / Joe Porcaro, Lenny Castro (perc) / Chuck Findley, Jim Horn (horns) |
| 収録時間 | 40分46秒 / 全10曲(Paich 作8曲、Kimball 作1曲、Steve Porcaro 作1曲) |
「Hold the Line」——Sly のグルーヴを、硬いロックに接ぐ
先行シングル「Hold the Line」は Paich の単独作で、出発点はピアノのリフだった。ある晩リフを弾いているうちにサビの一節が口をついて出て、2時間ほどでヴァースまで書き上がったという。曲は F シャープ・マイナーのシャッフルで、Kimball がリードを歌う。
この曲の「硬さ」を決めているのは Jeff Porcaro のドラムだ。本人の説明によれば、Sly & the Family Stone の Greg Errico を下敷きに、三連のハイハットに2拍4拍のバックビートを載せ、Sly のグルーヴをもっと荒々しいロックの叩き方に接いだ。R&B の現場で稼いできた人間がロックのシングルに何を持ち込むか——その答えがこのビートだ。2コーラス目の後の Lukather のソロは、終盤の多重ハーモニー以外はワンテイクで録られた。
シングルは1978年9月発売。Hot 100 のトップ10には12月23日付で入り、1979年1月13日付で最高5位、トップ10に6週とどまった。英国でも14位。Lukather は KLOS で初めてこの曲が流れたとき、「俺がラジオに出てる」と叫んで家中を走り回ったと語る。他人の名前で何十枚も弾いてきた人間の、自分の名前で流れた最初の1曲への反応である。
「Georgy Porgy」——R&B チャート18位に入った「新人」
3枚目のシングル「Georgy Porgy」は、Hot 100 では48位止まりだが、Billboard の R&B チャートで18位、ニュージーランドで11位まで上がった。「Lowdown」を R&B チャート5位に押し上げた3人が、同じ場所に戻ってきたと見るのが自然だろう。
女性ヴォーカルは Cheryl Lynn。前年「Got to Be Real」でデビューした彼女が、英語の童謡「Georgie Porgie」を下敷きにしたフレーズを歌う。Porcaro はこの曲のグルーヴの手本として Earl Palmer や James Gadson ら R&B 系ドラマーの名を挙げている。1999年の Eric Benét によるカヴァー(Faith Evans 参加)がニュージーランドで2位まで上がったのは、原曲の R&B 的な骨格の証明だろう。
2枚目のシングル「I’ll Supply the Love」(1979年2月)は Hot 100 で45位、9週チャートイン。
「プロだが、詩がない」——批評が割れた場所
初期評価はきれいに二つに割れた。Billboard と Cashbox の1978年10月7日号は「洗練されたポップ・ロック」として好意的に書いた。一方 Rolling Stone の Don Shewey は「セッション・ミュージシャンの集団による退屈なデビュー作」と切り捨て、バンドには歌い手と書き手が欠けており、Paich の曲はソロを連ねる口実に過ぎない、「プロではあるが、詩がない」と結んだ。
後年 AllMusic の William Ruhlmann はこの落差を「ラジオの聴き手が批評家より先に認めた理由」として整理した。スタジオで鍛えた技術はどんなポップ・スタイルでも弾けることを意味するが、パンク/ニューウェイヴの時代にはその器用さ自体が減点材料になった。新人賞で並んだ The Cars と Costello がまさにその「時代」の側にいたことを思えば、1979年2月15日の結果は二重に象徴的だった。
数字で見る、新人の1年目
チャートでは Billboard 200 の9位、1979年の年間チャートで19位。オーストラリアでは2位(年間13位)、スウェーデン5位、西ドイツ8位と、米国より高い国もある。RIAA の2×プラチナ認定は1989年11月10日、発売から11年後——『Toto IV』以降に伸びた数字であることが日付から読み取れる。
| 国/機関 | アルバム最高位 | 認定 |
|---|---|---|
| 米国 Billboard 200 | 9位(年間19位) | RIAA 2×プラチナ(1989年11月10日) |
| オーストラリア | 2位(年間13位) | ARIA プラチナ |
| カナダ RPM | 9位(年間41位) | Music Canada 2×プラチナ |
| 西ドイツ | 8位 | BVMI ゴールド |
「Hold the Line」の外側にある8曲
「新人」の履歴書を確かめるなら、シングル以外の曲のほうが雄弁だ。オープニングのインスト「Child’s Anthem」は、Paich が南カリフォルニア大学でクラシックを学んでいた時期に書いたもので、ピアノとシンセの主題がそのまま後の Toto の「壮麗さ」の原型になる。「Manuela Run」は、Grateful Dead のジャケットで知られる画家 Philip Garris が描いた剣の図案とバンドのロゴの出所になった曲だ。
Kimball が生後9か月の娘のために書いた「You Are the Flower」と、Steve Porcaro 作の「Takin’ It Back」は、Paich 以外の2人が書き手として名乗りを上げた曲。6分超の「Girl Goodbye」は、Rolling Stone が「ソロを連ねる口実」と呼んだ側面が最も強く出るが、6人の演奏力をいちばん長く聴ける場所だ。2019年のボックス『All In』では Elliot Scheiner のリマスターで聴き直せる。
聴く順番としては、Boz Scaggs『Silk Degrees』の「Lowdown」から「Georgy Porgy」へ、次に「Hold the Line」から「Girl Goodbye」へ、と2本の線で辿るのがいい。前者は R&B の手癖、後者はロックのシングルを作る腕が「新人」の看板の裏にあったことを教えてくれる。両方が4年後に『Toto IV』で合流する。AOR 名盤100選の文脈で言えば、本作は「完成形の前夜」ではなく、すでに完成していた職人たちが名前を得た最初の1枚である。
参考資料
- Wikipedia (en) — Toto (album)(録音データ・チャート・認定)
- Recording Academy — Toto(グラミー・ノミネート歴)
- AllMusic — Toto『Toto』(William Ruhlmann によるレビュー)
- RIAA Gold & Platinum Database(売上認定)
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