1981年2月25日、ニューヨークの Radio City Music Hall。第23回グラミー賞の夜、Christopher Cross は Record of the Year、Album of the Year、Song of the Year、Best New Artist の主要4部門をひとりで持ち帰った。グラミー史上、この4つを同じ夜に取った人間はそれまで誰もいなかった。そして次に同じことが起きるのは、Billie Eilish が壇上に立つ2020年1月26日——39年後である。
ただし、この記録には妙な影がある。受賞したアルバム『Christopher Cross』は Billboard 200 で最高6位止まりで、1位に届いたことがない。Record of the Year を獲った「Sailing」は Hot 100 で1位に立ったが、在位は1週だけだった。より長く上位にいたのは、候補にすらならなかった「Ride Like the Wind」のほうである。
「頂点に届かなかったアルバム」と「1週だけの1位」が、なぜ『The Wall』や『Glass Houses』を退けたのか。1979年12月27日に Warner Bros. から出た本作を、この夜から逆算して読んでいく。
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1981年2月25日——6位のアルバムが『The Wall』を退けた
Album of the Year の候補は5枚。Pink Floyd『The Wall』、Billy Joel『Glass Houses』、Frank Sinatra『Trilogy: Past Present Future』、Barbra Streisand『Guilty』、そして Christopher Cross。『The Wall』は前年に Billboard 200 で15週にわたって1位に居座った作品で、『Glass Houses』も『Guilty』もチャートの頂点を経験している。5枚のうち、1位を知らないのは Cross の盤だけだった。
結果はご存じのとおりで、賞はテキサスから出てきた新人の手に渡った。壇上でトロフィーを受け取ったのはプロデューサーの Michael Omartian で、Warner Bros. とアルバムの参加者を代表して謝辞を述べている。この部門のプレゼンターは Donna Summer と Michael McDonald——後者は「Ride Like the Wind」で答えのコーラスを歌った当人である。自分の声が入ったアルバムの名前を、自分で読み上げたことになる。
| 部門 | 受賞 | 他の候補(主なもの) |
|---|---|---|
| Album of the Year | 『Christopher Cross』 | 『The Wall』『Glass Houses』『Trilogy』『Guilty』 |
| Record of the Year | 「Sailing」 | 「Lady」「The Rose」「Theme from New York, New York」 |
| Song of the Year | 「Sailing」(作: Christopher Cross) | — |
| Best New Artist | Christopher Cross | Irene Cara / Robbie Dupree / Amy Holland / The Pretenders |
| Best Arrangement Accompanying Vocalist(s) | 「Sailing」(Cross & Omartian) | — |
| Best Pop Vocal Performance, Male | 候補のみ(受賞は Kenny Loggins「This Is It」) | — |
ノミネートは6、受賞は5。落としたのは男性ポップ・ヴォーカル部門で、相手は Kenny Loggins だった。もうひとつ、アルバムはエンジニアの Chet Himes の名で Best Engineered Recording にも候補入りしていたが、こちらは『The Wall』の James Guthrie が獲っている。Album of the Year で負けた『The Wall』が、音の部門では Cross に勝った——この夜はそういう組み合わせで終わった。
1979年12月27日に出た盤が「1980年の」賞を総なめにするまで
第23回グラミーが対象としたのは1980年の音楽である。1979年の暮れ、それも年末の3日前に出たアルバムは、暦の上では前年の作品だが、賞の対象期間にはぎりぎり入っていた。そして1980年のあいだ、この盤は一度も1位になることなく、ずっとチャートの上のほうに居続けた。
その「居続け方」を、年間チャートが証言している。Billboard 200 の年間順位は1980年が17位、翌1981年が4位。つまり、グラミーの夜を挟んで2年目のほうが売れたアルバムである。受賞後に再点火した、というより、火が消えないまま年をまたいだと言ったほうが近い。
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| 発売 | 1979年12月27日 / Warner Bros. Records |
| Billboard 200 最高位 | 6位(1位到達なし) |
| Billboard 200 年間順位 | 1980年: 17位 / 1981年: 4位 |
| RIAA 認定 | 5×プラチナ(米国500万枚、1994年認定) |
| 英国 | 全英アルバム・チャート 14位 / BPI プラチナ |
| その他の最高位 | オランダ 14位 / ニュージーランド 16位 / カナダ 26位 |
米国での認定は5×プラチナ。ただし認定日は1994年で、発売から15年後である。80年代のあいだに数字が積み上がり、まとめて申請された形だ。この「静かに売れ続ける」性格は、1週しか1位にいなかった「Sailing」が、その後の何十年かでソフト・ロックの代名詞になっていった経緯と重なる。
1週の1位と、4週の2位——候補になったのは短いほう
アルバムからのシングルは4枚。順に並べると、賞の側とチャートの側で「主役」がずれていることが見えてくる。
| シングル | 発売 | Hot 100 | Adult Contemporary | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| Ride Like the Wind | 1980年1月 | 2位(4週) | — | Blondie「Call Me」に阻まれ1位未到達 |
| Sailing | 1980年5月 | 1位(1週・8月30日付) | 1位 | Record / Song of the Year |
| Never Be the Same | 1980年9月24日 | 15位 | 1位(2週) | 3枚連続トップ40 |
| Say You’ll Be Mine | 1981年3月14日 | 20位 | 15位 | グラミー授賞式の後に発売 |
「Ride Like the Wind」は1980年の春、4週にわたって2位に留まった。上にいたのは Blondie の「Call Me」で、映画『American Gigolo』の主題歌が6週の1位を続けているあいだ、Cross のシングルはその真下で待っていた。結局この曲は1位を踏まないまま下がっていく。
代わって夏に上がってきた「Sailing」は、8月30日付で1位に届き、翌週には譲った。滞在は1週。ところがグラミーの Record of the Year と Song of the Year に選ばれたのはこちらで、「Ride Like the Wind」はどちらの部門にも名前がない。チャートの持久力では負けた曲が、賞では勝った。もっと言えば、Best Arrangement Accompanying Vocalist(s) も「Sailing」で、この1曲だけで3つのトロフィーを取っている。
3枚目の「Never Be the Same」は Hot 100 では15位だったが、Adult Contemporary では2週の1位。4枚目の「Say You’ll Be Mine」はグラミーの授賞式から3週間ほど後、1981年3月14日に出た。5冠の直後に出たシングルが20位止まりだったことは、賞がそのまま売上に変換されるわけではない、という当たり前の事実を示している。
Austin の4人と、Burbank の客演——クレジットは二層になっている
このアルバムのクレジットを読むと、参加者がはっきり二層に分かれる。下の層は、Cross が San Antonio で10代のころから一緒にやっていた仲間たちだ。ベースの Andy Salmon はバンド Flash 時代からの相棒で、キーボードの Rob Meurer も同郷、ドラムの Tommy Taylor は Austin に移ってから加わった。4人は Austin でカヴァー曲を演奏して稼ぎながら、Odyssey Sound(のちの Pecan Street Studios)でデモを録り、レーベルに送り続けていた。
自分たちはバンドのつもりだった。しかし1979年初頭、Warner Bros. が契約したのは「Christopher Cross」というソロ・アーティストだった。それでもリズム・セクションは全曲この3人が弾いており、アルバムの土台は Austin のバンドのままである。上の層——ロサンゼルスのセッション・プレイヤーと客演歌手——は、その土台の上に曲ごとに載せられている。
| パート | 参加者(該当曲) |
|---|---|
| Austin のバンド | Christopher Cross (vo, g) / Andy Salmon (b) / Rob Meurer (key) / Tommy Taylor (ds) |
| プロデュース・鍵盤 | Michael Omartian (p, synth) ※Album of the Year の共同受賞者 |
| ギター・ソロ | Jay Graydon (1, 4) / Larry Carlton (2, 7) / Eric Johnson (9) |
| パーカッション | Lenny Castro / Victor Feldman (vib, perc) |
| ホーン | Jim Horn, Jackie Kelso, Don Roberts (sax) / Lew McCreary (tb) / Chuck Findley (tp, flh) / Tomás Ramírez (sax solo: 9) |
| 弦 | Assa Drori(コンサートマスター: 3, 5, 6, 8) |
| 客演ヴォーカル | Nicolette Larson (1) / Michael McDonald (2, 6) / Valerie Carter (3) / Don Henley, JD Souther (7) / Stormie Omartian, Marty McCall, Myrna Matthews (4) |
| エンジニア | Chet Himes(Austin から帯同)/ 第2エンジニア: Stuart Gitlin / マスタリング: Bobby Hata |
Omartian との出会いは、Warner Bros. の水曜朝の A&R 会議だったと本人が語っている。Cross は当初この人選に乗り気でなかったが、Omartian が Steely Dan の作品で弾いていた鍵盤奏者だと知って引き受けた。録音は Burbank の Amigo Studios(現在の Warner Bros. Recording Studios)で行われ、エンジニアには Austin のデモを録っていた Chet Himes がそのまま就いた。地元の音を知る人間を残したまま、LA の人脈で外側を固める——このアルバムの「二層」は、制作体制そのものでもある。
背骨に沿って聴く——賞を取った曲、取れなかった曲
Sailing(4:14)——高校時代の友人の船
曲の出発点は、Cross が高校生のころ、年上の友人 Al Glasscock に連れられて出た帆走にある。思春期のもやもやを海に出ることで忘れさせてくれた相手で、Cross にとっては兄のような存在だった。ふたりはその後28年間会わず、1995年4月にラジオ番組『The Howard Stern Show』が引き合わせている。Cross はのちに、500万枚超のプラチナ・ディスクを Glasscock に贈った。
演奏は Cross の12弦エレクトリック・ギターを核に、Omartian のピアノ、Meurer のエレピ、Victor Feldman のパーカッション、Tommy Taylor のドラム。ベースはこの曲だけ Abraham Laboriel が弾いている。派手なソロはなく、弦が入ってくるまで音数は少ない。Cross と Omartian の名で編曲賞を獲ったのは、この「足さない」設計に対してである。
Ride Like the Wind(4:32)——答えの声は別人に
Houston から Austin へ移動する道中で書かれた曲で、死刑を宣告された男がメキシコへ逃げる、という物語仕立てになっている。デモの段階では、コーラスの「答え」のパートも Cross 自身が歌っていた。それを聴いた Omartian が、ここは別の声のほうがいいと提案し、Michael McDonald が呼ばれた。McDonald は答えのフレーズだけでなく、後半のハーモニーも重ねている。
Austin のバンドが弾いた基本トラックに、Taylor のドラムを直線的なロックのビートから4つ打ちのキックへ変更して推進力を作り、最後に Assa Drori 率いる28人の弦を足した。ホーンはヴォーカルのハーモニーと同じ音の重ね方で書かれ、声と溶けるようになっている。4週の2位と、グラミーの候補外——この曲の評価は、チャートと賞で食い違ったままだ。
Never Be the Same(4:40)と Say You’ll Be Mine(2:53)
「Never Be the Same」は Don Henley と JD Souther が背景で歌う曲で、ギター・ソロは Larry Carlton。Adult Contemporary で1位になったのは、Cross のバラードがどの層に届いていたかを示している。対照的に「Say You’ll Be Mine」はアルバム最短の2分53秒で、Nicolette Larson がコーラスを付け、Jay Graydon がソロを弾く。1曲目にこの軽い曲を置き、最後に6分の「Minstrel Gigolo」を置く構成は、シングル中心のアルバムとしては珍しく、終わりに向かって重くなっていく。
Minstrel Gigolo(6:00)——Austin から来たもうひとりのギタリスト
最後の曲でソロを弾いているのは Eric Johnson。当時はまだ全国的には無名で、Cross と同じ Austin のシーンにいた同郷のギタリストである。Tomás Ramírez のサックス・ソロと並んで、この曲だけは LA の「上の層」ではなく、テキサスの人脈が前に出る。アルバムの締めをこの2人に任せたところに、ソロ名義になっても「バンドのつもり」だった Cross の意地が残っている。
なお、米国盤の9曲に加えて、日本ではヤマハの音楽祭のために書かれた「Mary Ann」(2:55)が1980年に日本限定シングルとして出ており、現在のCD・配信ではボーナス・トラックとして10曲目に収められていることが多い。
2020年1月26日——39年後に並んだ記録、そのあいだにあったこと
主要4部門の同時受賞は、2020年の第62回グラミーで Billie Eilish が『When We All Fall Asleep, Where Do We Go?』と「Bad Guy」で達成するまで、誰も繰り返せなかった。Norah Jones は2003年に Album・Record・Best New Artist を取ったが、「Don’t Know Why」の作者ではなかったため Song of the Year が手に入らなかった。Cross の場合、「Sailing」は単独作である。作者としての賞と歌い手としての賞を同じ曲で取れたことが、4冠の条件だった。
Cross 自身のその後は、この夜の延長線上で進む。1981年には映画『Arthur』の主題歌「Arthur’s Theme (Best That You Can Do)」を Burt Bacharach、Carole Bayer Sager、Peter Allen と共作し、Hot 100 で2曲目の1位を記録、アカデミー賞の歌曲賞を獲った。翌年のグラミーでも Record・Song・男性ポップ・ヴォーカルの3部門に候補入りしたが、こちらは無冠に終わっている。2作目『Another Page』(1983)はゴールド認定。数字だけを見れば、デビュー作の高さがそのまま比較の基準になってしまった、という言い方もできる。
けれども、このアルバムが40年以上経っても聴かれている理由は、賞の数ではないだろう。1位を知らないまま、2年にわたってチャートの上のほうに居続けた粘り——それを支えたのは、Austin の4人が弾いた土台と、Omartian が「足さない」判断をした編曲だった。AOR の入口として本作を勧めるなら、「Sailing」から入って「Ride Like the Wind」で答えの声を確かめ、「Minstrel Gigolo」でテキサスの側に戻ってくる、という順番がいい。
同じ時代の AOR を並べて聴くなら、Omartian 以前に「西海岸の音」の基準を作った Boz Scaggs『Silk Degrees』 と、本作を含む AOR 名盤100選 も合わせてどうぞ。
参考資料
- Wikipedia (en) — Christopher Cross (album)(クレジット・チャート・認定)
- Wikipedia (en) — 23rd Annual Grammy Awards(1981年2月25日の受賞・候補)
- AllMusic — Christopher Cross(レビュー・クレジット)
- Mix — Classic Track: “Ride Like the Wind”(録音の経緯)
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