タイトルの意味は「ない」、ヒットは「事故」──Boz Scaggs『Silk Degrees』(1976)

Boz Scaggs Silk Degrees AOR名盤ガイドのアイキャッチ(レコードモチーフ・ジャケット不使用)
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『Silk Degrees』というタイトルは何を意味するのか——この記事に辿り着く人の多くが、まずそれを知りたがる。答えを先に書くと、Boz Scaggs 本人は「特に何も意味していない」と語っている。ページの端に書き付けた、頭から離れなかったひとつのイメージ。それがアルバムを録り終えた最後の最後に、名前として選ばれた。

このアルバムを500万枚に押し上げた曲についても、事情は似ている。「Lowdown」をシングルにする気は、Scaggs にも演奏した面々にもなかった。最初に切られたシングル「It’s Over」は Hot 100 で38位止まり。ところが Cleveland の R&B 局の DJ がアルバムから直接この曲をかけ始め、反応を見た Columbia が慌てて追いかけた。Scaggs は後にこのヒットを「事故(accident)」と呼んでいる。

意味を持たないタイトルと、出す気のなかったシングル。1976年2月18日に Columbia から出た Boz Scaggs の7作目は、計画の外側で決まったふたつの偶然によって、AOR の出発点として記憶される作品になった。本稿はその「計画の外側」を軸に読む。

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Boz Scaggs - Lido Shuffle (Official Video)
目次

最後に付ける名前——「Silk Degrees」というタイトルの意味

Scaggs は2016年のインタビュー(Tallahassee Democrat)で、タイトルの由来をこう説明している。「ページの端に走り書きしたものにすぎない。アルバムを録音したあと、最後にやるのが名前を付けることだ。Silk Degrees は具体的に何かを意味しているわけではない。ただ、頭から離れなかったイメージなんだ」。

つまり「絹の度合い」「滑らかさの段階」といった解釈は、聴き手が後から音に当てはめたものだ。ホーンとストリングス、Rhodes とクラビネットが織る手触りに「silk」の語感がよく合うからこそ、この造語は残った。ただ、作者の側には定義がなかった——その事実を押さえて聴くと、このアルバムの「決め込まなさ」が見えてくる。

ジャケットも同じ調子で、意味を語らない。撮影は Moshe Brakha、場所は California 州 Santa Catalina 島の Avalon、Casino Point。海辺で撮られた一枚に、タイトルとの関係を示す説明はどこにもない。意味を与えないまま差し出す——ジャケットも名前も、同じ態度で作られている。

4枚のシングルが出た順番

本作からは4枚のシングルが切られた。その順番と成績を並べると、レコード会社の「計画」と市場の「反応」がどれほどずれていたかが一目で分かる。

順シングル作者Billboard Hot 100備考
1It’s OverScaggs / Paich38位先行シングル。反応は鈍かった
2LowdownScaggs / Paich3位1976年6月。Cash Box では1位、R&B 5位、カナダ2位。RIAA ゴールド。グラミー Best R&B Song 受賞
3What Can I SayScaggs / Paich42位オーストラリアでは Lido Shuffle との両A面で2位
4Lido ShuffleScaggs / Paich11位英13位。英国発売は1977年4月

最初に出した曲が最も振るわず、出す気のなかった曲が最大のヒットになる。しかも「We’re All Alone」は本作からは一度もA面にならず、後述するように他人の手で全米7位まで上がる。当事者の見立てが尽く外れたことで成功したアルバムなのである。

Cleveland の DJ が「盤から」かけた曲

「Lowdown」の商業的な出発点は、Columbia の会議室ではなく Cleveland の放送局にある。ある R&B 局の DJ がシングル化前のアルバムからこの曲を流し、リスナーの反応が良かったため、Columbia は他の R&B 局にも音源を回した。そこから Top 40 局へ波及し、正式にシングル化されると Hot 100 で3位、Cash Box では1位に達した。

演奏の側から見ると、「事故」の中身はもっと具体的だ。ギターの Louie Shelton が GuitarPlayer 誌で振り返ったところによれば、曲は Em9 と A6 のふたつのコードを往復するだけの骨組みで、彼のソロは「空いているところを埋めてくれ」と言われて即興で弾いた一発録り。機材は Telecaster と1969年製 Fender Princeton Reverb、それに安価な Boss のディストーション・ペダル。Paich が ARP と Minimoog を重ね、David Hungate のベースが前に出る。誰もシングルとして設計していない曲が、結果的に最も設計されたように聴こえる——この逆説が「Lowdown」の核心である。

1977年2月19日の第19回グラミーで、「Lowdown」は Scaggs と Paich の作曲に対して Best R&B Song を受賞した。アルバム自体も Album of the Year にノミネートされ(受賞は Stevie Wonder『Songs in the Key of Life』)、プロデューサーの Joe Wissert は Producer of the Year 候補に名を連ねている。出す気のなかった曲が、その年の R&B ソングの頂点に立った。

1975年秋、2か月で録った「Toto 前夜」

録音は1975年9月から10月、North Hollywood の Davlen Sound Studios と Los Angeles の Hollywood Sound Recorders。プロデュースは Joe Wissert、エンジニアは Tom Perry、マスタリングは The Mastering Lab の Doug Sax。

顔ぶれを決めたのは Scaggs 本人で、周囲に相談してドラマーとして名前が挙がったのが Jeff Porcaro だった。Porcaro は鍵盤の David Paich、ベースの David Hungate と親しく、3人がまとめて入る。そこに彼らの推薦でギタリストの Fred Tackett(のち Little Feat)と Louie Shelton が加わった。Paich はアレンジ全体を担い、5曲を Scaggs と共作、「Love Me Tomorrow」は単独で書いた。Scaggs は後年、Paich を「自分のキャリアで最も重要な人物」と呼んでいる。

  • David Paich:アレンジ、ピアノ、Rhodes、Wurlitzer、Hohner クラビネット、Hammond、Moog/ARP/Minimoog、ハープシコード
  • Jeff Porcaro:ドラムス、パーカッション、ティンバレス(8曲目)
  • David Hungate:ベース
  • Fred Tackett / Louie Shelton / Les Dudek:ギター(Dudek は「Jump Street」のスライド)
  • Joe Porcaro:パーカッション(1・3曲目)——Jeff の父
  • ホーン:Plas Johnson、Jim Horn、Bud Shank、Tom Scott、Chuck Findley ほか
  • ストリングス:Sid Sharp(指揮・コンサートマスター)
  • コーラス:Jim Gilstrap、Augie Johnson、Marty McCall、Carolyn Willis(1・6曲目)ほか

Scaggs 自身の言葉では、「私と録音し、あのアルバムで成功し、そのあと私とツアーを回ったことが、彼らを固めた。Toto として録音するまでの道筋がはっきり見えたんだと思う」。1978年の Toto デビュー作は、この2か月と1976年のツアーの延長線上にある。Toto『IV』の記事の完成形と聴き比べると、ここではまだ「歌手を支える職人」に徹しているのが分かる。

「Lowdown」「Lido Shuffle」以外で押さえたい4曲

Lido Shuffle——Fats Domino から借りたシャッフル

Scaggs によれば、出発点は Fats Domino の「The Fat Man」にあった。あの押し出すシャッフルをピアノで弾くうちに骨格ができ、Paich と仕上げた。Paich はピアノ、Hammond、Minimoog、Moog を一人で担当し、Porcaro のドラムは「Lowdown」の抑制とは対照的な乾いた前進感で押す。同じリズム隊が同じアルバムでこれだけ違う顔を見せることが、後の Toto の振れ幅を先取りしている。Hot 100 で11位、英国で13位。

We’re All Alone——A面にならなかった曲が、他人の手で7位になる

Scaggs 単独作のクロージング・バラード。Louie Shelton のアコースティック・ギターとストリングスで支えた簡素なアレンジが、歌の抑制を際立たせる。ところが本作からはA面にならず、B面として2度使われただけだった(オーストラリアで「Lowdown」との両A面として54位に入ったのが、Scaggs 版が唯一チャートした記録である)。

先に動いたのは Frankie Valli で、1976年8月に Hot 100 で78位。決定打は翌1977年の Rita Coolidge 版で、Hot 100 で7位、Adult Contemporary で1位、英国でも6位に達し、RIAA ゴールドを獲得した。以後 The Walker Brothers、The Three Degrees、Bob James、高中正義(1978年)と、歌い手・弾き手を変えて広がっていく。作者の元ではA面にすらならなかった曲が、アルバム中で最も多く録音された曲になった——「計画の外側」の、もうひとつの実例である。

Harbor Lights と What Do You Want the Girl to Do——ソロイストの居場所

A面後半の2曲は、ホーン陣の使い方をよく示す。Allen Toussaint 作の「What Do You Want the Girl to Do」では Jim Horn のテナー、ジャズ寄りのバラード「Harbor Lights」では Chuck Findley のフリューゲルホーンがソロを取る。ホーンをリフの道具ではなく、歌の合間に一人ずつ立たせる——この配置が、後の AOR 録音における管楽器の標準になっていく。オープナー「What Can I Say」の Plas Johnson のテナー・ソロも同じ発想だ。

数字で見る『Silk Degrees』

アルバムは Billboard 200 で2位まで上がり、115週にわたってチャートに留まった。1976年の年間チャートで17位、翌1977年には8位——発売翌年のほうが順位が高いのは、「Lowdown」以降の後追い需要がいかに長く続いたかを示している。

項目記録
Billboard 200 最高位2位(在チャート115週)
Billboard R&B アルバム6位
Billboard 年間アルバム1976年 17位 / 1977年 8位
海外最高位オーストラリア 1位 / カナダ 2位 / ニュージーランド 3位 / オランダ 15位 / 英国 20位
RIAA 認定5×プラチナ(1994年認定)
その他の認定オーストラリア 7×プラチナ / カナダ 3×プラチナ / ニュージーランド プラチナ / 英国 シルバー
グラミー(1977年)Best R&B Song 受賞(Lowdown)/ Album of the Year ノミネート / Producer of the Year ノミネート(Joe Wissert)

批評も追いついた。Robert Christgau は1976年の Village Voice で「自己パロディに呑まれないユーモアを持った白人ソウル」と評し、AllMusic は5点満点、Pitchfork は2021年の再評価で8.8点を付けている。オーストラリアの1位と7×プラチナは、米国以上にこの国でスタンダードになったことを物語る。

2007年の Legacy 盤と、その後の「Lowdown」

2007年2月27日、Legacy からの再発盤には、1976年8月15日の Greek Theatre(Los Angeles)公演から「What Can I Say」「Jump Street」「It’s Over」のライブ3曲が追加された。Toto 結成前夜の面々がステージでどう鳴っていたかを聴ける、数少ない公式音源である。

「Lowdown」自体もその後、形を変えて生き続けた。Scaggs は1996年の『Fade into Light』でアコースティックなジャズ・アレンジで再録し、2020年には Disclosure が「Expressing What Matters」でサンプリングしている。出す気のなかった曲が、半世紀後も新しい聴き手を連れてくる。

Scaggs の側から見れば、本作は『Down Two Then Left』(1977) と『Middle Man』(1980) への入口でもある。「決め込まない」まま偶然を受け入れた1976年の録音から、1980年の緻密な設計まで——その4年の距離を測る起点として、『Silk Degrees』は何度でも戻る価値がある。AOR 名盤100選の中でも、これほど「意図しなかった成功」に支えられた1枚は他にない。

参考資料

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この記事を書いた人

AORBreeze運営者。Boz Scaggs、Steely Dan、TOTO、Bobby Caldwellを原体験に、70〜80年代のAOR・ヨットロック・シティポップ・フュージョンを聴き続けているリスナー。David FosterやJay Graydonら西海岸セッション人脈に注目し、参加ミュージシャン視点でアルバムを掘り下げています。

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