リー・リトナーの『Rit』は、フュージョン・ギタリストが歌ものに大きく舵を切った1981年の作品として知られています。シングル「Is It You」はビルボードのHot 100で15位、アルバムもビルボードのアルバム・チャートで26位まで上がり、それ以前のリーダー作を大きく上回りました。ところが、その歌を担ったエリック・タッグは、のちのインタビューで「カリフォルニアに住んだことは一度もない」と語っています。当時の彼はダラスとロサンゼルスを行き来しながら録音に参加していた、というのです。
LAのセッション・ミュージシャンが総出で作った音の中心に、LAの住人ではない歌い手がいた。このねじれを軸に、タッグとリトナーの出会い、デヴィッド・フォスターやビル・チャンプリンの関わり方、そしてよく名前が挙がるジェイ・グレイドンとの実際の関係を、クレジットで確かめながらたどります。
オランダで契約したデビュー作で、リトナーと出会う
タッグは米国のウェブジン westcoast.dk の2009年のインタビューで、テキサスで約6年バンド活動をしたあと、20歳ごろにヨーロッパへ渡ったと話しています。オランダで3年ほど暮らし、現地のマネージャーとともにEMI/Bovemaとの契約を得て、1975年にデビュー作『Smilin’ Memories』を出しました。
リトナーとの最初の接点は、この『Smilin’ Memories』のロサンゼルスでの録音です。1975年1月、プロデューサーのジョン・ダンドレアがギタリストとしてブッキングしたのがリトナーでした。同じロサンゼルス滞在で、タッグはデヴィッド・フォスターやポーカロ兄弟とも顔を合わせたと振り返っています。『Rit』の主要人物との縁は、6年前のこのセッションで芽を出していたわけです。
ふたりが再会したのは約3年後、ニューヨークのクラブ「ボトム・ライン」でした。リトナーがタッグにデモを求め、そこから共作が始まります。タッグによれば、1980年までには『Rit』用の曲が録音されていました。歌い手の側から見れば、旧知のギタリストに呼ばれた延長線上の作品です。
前半は歌、後半は指──10曲の配置とクレジット
『Rit』の10曲は、ヴォーカル曲とインストゥルメンタルがおおむね前後に分かれています。2015年の再発(『Rit』と『Rit 2』の2in1 CD)を紹介した The Second Disc は、タッグがアルバム前半の曲を書くか共作し、リードを取っていると整理しています。後半はリトナー作のインストが中心で、カヴァーはスライ&ザ・ファミリー・ストーンの「(You Caught Me) Smilin’」の1曲だけです。
| # | 曲名 | 作者 | ヴォーカル | ドラムス/ベース | 聴きどころ |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | Mr. Briefcase | エリック・タッグ | タッグ | ジェフ・ポーカロ/デヴィッド・ハンゲイト | フォスターのピアノとポーカロのドラムによる軽快な幕開け |
| 2 | (Just) Tell Me Pretty Lies | リトナー、タッグ | タッグ | ハーヴィー・メイソン/エイブラハム・ラボリエル | ティーとフォスターの鍵盤が重なるソウル寄りの1曲 |
| 3 | No Sympathy | リトナー、タッグ | タッグ(バック・ヴォーカルにビル・チャンプリン) | リック・シュロッサー/ハンゲイト | 弦編曲はフォスターとリトナー。厚いコーラスにチャンプリンの声 |
| 4 | Is It You | リトナー、タッグ、チャンプリン | タッグ(チャンプリンも参加) | アレックス・アクーニャ/ラボリエル | Hot 100で15位。ギターと歌の会話 |
| 5 | Dreamwalk | リトナー | — | — | 1分48秒の小品。弦編曲はジョニー・マンデル |
| 6 | Countdown (Captain Fingers) | リトナー | ヴォコーダー | メイソン/ラボリエル | 1977年作の題名を引く速い曲。ダンス・チャート43位 |
| 7 | Good Question | リトナー | — | ポーカロ/ジョン・ピアース | フォスター共同プロデュースのインスト |
| 8 | (You Caught Me) Smilin’ | シルヴェスター・スチュワート | タッグ、チャンプリン | メイソン/ルイス・ジョンソン | ルイス・ジョンソンのベースとフィリンゲインズの鍵盤でスライをLA流に |
| 9 | On the Slow Glide | リトナー | — | メイソン/ラボリエル、ハンゲイト | ドン・グルーシンの鍵盤が主役のメロウなインスト |
| 10 | No Sympathy (Reprise) | リトナー | — | —(ベースはラボリエル) | 3曲目の旋律をインストで回収 |
なお「Is It You」のリードは、英語版ウィキペディアではタッグ、Sessiondaysではチャンプリンとタッグの併記です。本稿では「タッグが主旋律を歌い、チャンプリンも声で加わる」範囲にとどめます。
Airplayの顔ぶれが『Rit』にも集まっていた
『Rit』のクレジットで目を引くのは、1980年2月にRCAから出たAirplayのアルバムとの重なりです。Airplay『Airplay』はジェイ・グレイドンとデヴィッド・フォスターのプロデュースで、ドラムにジェフ・ポーカロ、ベースにデヴィッド・ハンゲイト、ホーンにジェリー・ヘイ、ベーシック・トラックの録音エンジニアにウンベルト・ガティカ、そしてヴォーカルにはトミー・ファンダーバークとビル・チャンプリンが名を連ねていました。
このうちグレイドンとファンダーバーク以外の全員、つまりフォスター、ポーカロ、ハンゲイト、ヘイ、ガティカ、チャンプリンが『Rit』にも参加しています。フォスターは1曲目と7曲目の共同プロデューサー、ヘイは1・4・8曲目のホーン編曲、ガティカは録音とミックスを担当しました。録音場所にはAirplayと同じくサンセット・サウンドが含まれています。
一方で、AOR側の文脈でよく並べて語られるジェイ・グレイドンは、『Rit』のクレジットには見当たりません。リトナーとグレイドンが同じレコードに名を残した例としては、スティーリー・ダン『Aja』(1977)があり、リトナーは「Deacon Blues」でギター、グレイドンは「Peg」でギター・ソロを担当しています。同じ人脈の中にいながら、『Rit』ではギターの席をリトナー自身が一人で占めている、と見るのが正確でしょう。
| 人物 | 『Rit』での役割 | AORとの接点(確認できたもの) |
|---|---|---|
| デヴィッド・フォスター | 共同プロデュース(1・7曲目)、鍵盤、弦編曲(3曲目) | Airplayの共同プロデューサー。チャンプリン『Runaway』(1981)も制作 |
| ビル・チャンプリン | 「Is It You」共作、ヴォーカル(3・4・8曲目) | Airplayでリード/バック・ヴォーカル。1981年末にシカゴへ加入 |
| ジェフ・ポーカロ | ドラムス(1・7曲目) | Airplayのドラムス。TOTOの創設メンバー |
| デヴィッド・ハンゲイト | ベース(1・3・9曲目) | Airplayのベース。TOTOの初代ベーシスト |
| ジェリー・ヘイ | ホーン編曲(1・4・8曲目)、トランペット | Airplayのホーン編曲 |
| ウンベルト・ガティカ | 録音・ミックス | Airplayのベーシック・トラック録音 |
| ジェイ・グレイドン | (クレジットなし) | Airplayの共同プロデューサー |
ビル・チャンプリンを通して見える、1981年の地図
チャンプリンは『Rit』の時期、ちょうど転機にいました。1980年にはフォスター、グレイドンと共作した「After the Love Has Gone」(アース・ウィンド&ファイアー)でグラミーの最優秀R&Bソングを受賞。1981年にはフォスターのプロデュースでソロ作『Runaway』をElektraから出し、同年の終わりにはシカゴに加入します。翌1982年の『Chicago 16』もフォスターとの仕事でした。
さらに1983年には、グレイドン、スティーヴ・ルカサーと共作した「Turn Your Love Around」で2度目のグラミーを手にしています。この曲を歌ったのは『Breezin’』のジョージ・ベンソンでした。ジャズ・ギタリストが歌ものでポップ・チャートに食い込むという点で、『Rit』と同じ方向を向いた動きです。
「Is It You」の作者3人は、テキサスからオランダを経てダラスに戻った歌い手、LAのファースト・コール・ギタリスト、シカゴ加入直前の歌い手でした。この組み合わせが、フュージョンでもギター曲でもなくAORのど真ん中に着地する1曲を生んだと言えます。
チャートの数字と、その後のタッグ
| 項目 | 記録 |
|---|---|
| アルバム:米ビルボード/米ジャズ/豪 | 26位/トップ5/98位 |
| 「Is It You」:Hot 100/AC/ソウル | 15位/15位/27位 |
| 「Is It You」:キャッシュボックス/カナダRPM | 17位/35位 |
| 「Countdown (Captain Fingers)」:ダンス | 43位 |
出典はThe Second Discと英語版ウィキペディアです。同ディスコグラフィーでは、1977年の『Captain Fingers』が178位、1979年の『Feel the Night』が136位。これに対して『Rit』は26位です。翌1982年の『Rit/2』も再びタッグを迎えましたが、アルバムは99位、シングル「Cross My Heart」は69位でした。
タッグは同じインタビューで、日本は延べ11回ツアーで訪れたと語り、「最も忠実な支持者の何人かは日本にいる」とも話しています。1982年にはリトナーのプロデュースでソロ作『Dreamwalkin’』を発表しました。その後はツアーから離れ、ダラスでスタジオ・シンガーや作曲の仕事に軸を移しました。
AORリスナーが『Rit』に入るための道順
AORから入るなら、まず「Is It You」と「Mr. Briefcase」を続けて。ギターと歌のかけ合い、ポーカロとフォスターの軽いリズムは、Airplay好きならすぐに馴染めるはずです。次に「No Sympathy」から10曲目のリプライズへ飛ぶと、同じ旋律が歌とギターでどう変わるかがよくわかります。
続いて「Countdown (Captain Fingers)」や「On the Slow Glide」を聴くと、フュージョン作品としての顔が見えてきます。ラボリエルとメイソンのリズムの上で細かく刻むリトナーのフレーズは、歌もので控えめに添えていたオブリガートとは別の顔です。
ギタリストの系譜でたどるなら、Larry Carlton『Larry Carlton』がよい比較対象になります。カールトンも『Aja』に参加したLAのセッション・ギタリストで、のちにリトナーが1997年に抜けたフォープレイの後任ギタリストを務めました。ジャズ/フュージョン側の見取り図としてはスムースジャズ/フュージョン名盤8選、AOR側の広がりとしてはAOR隠れ名盤10選もあわせて読むと、『Rit』が両方の地図にまたがる位置にあることがわかります。
試聴・購入
『Rit』は、Spotify、Apple Music、Amazon Music などの各サービスで「Lee Ritenour Rit」と検索して探してみてください。配信状況は時期や地域で変わるため、各サービスでご確認ください。
参考資料
- Is It You (Lee Ritenour song) – Wikipedia(英語)
- Lee Ritenour – Wikipedia(英語)
- Two From Captain Fingers: Robinsongs Reissues Lee Ritenour’s “Rit” and “Rit 2” – The Second Disc
- 1981 Lee Ritenour – Rit – Sessiondays
- Eric Tagg interview 2009 – westcoast.dk
- Airplay (album) – Wikipedia(英語)
- Bill Champlin – Wikipedia(英語)
- Aja (album) – Wikipedia(英語)
