1978年の最初の5か月、全米シングル・チャートの1位はほとんどギブ兄弟のものでした。ビー・ジーズ「How Deep Is Your Love」「Stayin’ Alive」「Night Fever」、弟アンディ・ギブ「(Love Is) Thicker Than Water」。いずれもロバート・スティグウッドが率いるRSOレコードの作品です。その行進のちょうど2番目、1月14日付から3週連続で首位に立ったのが、同じRSOに所属する新人バンド、Player(プレイヤー)の「Baby Come Back」でした。
『サタデー・ナイト・フィーバー』の熱狂に挟まれながら、ディスコでもギブ兄弟の作でもない、ブルー・アイド・ソウル寄りのソフト・ロックが3週間だけトップを守った。この記事では、その「3週間」を手がかりに、デビュー作『Player』(1977年9月発売)がどんな人たちによって、どんな音で作られたのかを順に見ていきます。ヒット曲1曲のアルバムと思われがちな本作ですが、クレジットと曲順を追うと、L.A.のスタジオ文化とヒット職人の手法が凝縮された1枚であることがわかります。
ギブ兄弟の首位行進を3週間だけ止めた曲
まずは事実関係を整理します。Billboard Hot 100の1978年1〜5月の1位を並べると、下の表のようになります。「How Deep Is Your Love」は1月7日付で首位3週目を迎えていたので、1977年12月末から続く流れです。ここからイヴォンヌ・エリマン「If I Can’t Have You」まで、6曲すべてがRSOのリリースでした。RSOはこの時期に6曲連続・通算21週の首位を記録したとされ、表の週数を足すとちょうどその数字になります。
| 1位の日付(1978年) | 曲名 | アーティスト | 首位週数 | ギブ兄弟の関与 |
|---|---|---|---|---|
| 〜1月7日 | How Deep Is Your Love | Bee Gees | 3週 | あり |
| 1月14日〜28日 | Baby Come Back | Player | 3週 | なし |
| 2月4日〜25日 | Stayin’ Alive | Bee Gees | 4週 | あり |
| 3月4日〜11日 | (Love Is) Thicker Than Water | Andy Gibb | 2週 | あり |
| 3月18日〜5月6日 | Night Fever | Bee Gees | 8週 | あり |
| 5月13日 | If I Can’t Have You | Yvonne Elliman | 1週 | あり(バリー・ギブら作) |
この6曲のなかで、ギブ兄弟が歌っても書いてもいない唯一の曲が「Baby Come Back」です。同じレーベルの後押しもあったでしょうが、それだけで3週も首位は続きません。チャートに32週とどまり、1978年のHot 100年間チャートでは7位。R&Bチャートにあたる Hot Soul Singles でも10位まで上がり、RIAAのゴールド認定も受けています。ロック・バンドの曲がソウル系のチャートでも支持された点に、この曲の性格がよく表れています。
「Baby Come Back」はどう生まれたか──二人のソングライターとヒット職人
曲を書いたのは、バンドの中心人物ピーター・ベケットとJ.C.クロウリーの二人です。ベケットのリード・ヴォーカルとクロウリーのハーモニーが寄り添うように重なる構成は、二人の共作ならではのものです。
サウンド面で耳を引くのは、エレクトリック・ピアノとクラヴィネットが刻むしなやかなグルーヴです。シングル用クレジットでは、クロウリーがアコースティック/エレクトリック・ピアノ、セッション奏者のウェイン・クックがシンセサイザーとクラヴィネット、エレピを担当。ドラムのジョン・フリーゼンはマラカスとコンガも重ねています。ギターはロック的に歪ませず、ベケットの声の後ろで短いフレーズを差し込む程度。ヴァースは抑えたトーンで進み、サビで一気にハーモニーが厚くなる。この落差が、何度聴いても飽きない理由です。アルバム版は4分15秒、シングル版は3分28秒に編集されています。
フィラデルフィア・ソウルの語法をL.A.のソフト・ロックに移し替えたような質感の曲と考えると、Hot Soul Singlesでの健闘も腑に落ちます。
そして、そのソウル寄りの質感を音に仕立てたのがプロデューサーのデニス・ランバートとブライアン・ポッターです。二人は1969年にロンドンで出会い、約11年にわたってコンビを組んだソングライター兼プロデューサーでした。ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ「Don’t Pull Your Love」(1971年)、フォー・トップス「Keeper of the Castle」「Ain’t No Woman (Like the One I’ve Got)」、タヴァレス「It Only Takes a Minute」、グレン・キャンベル「Rhinestone Cowboy」など、ソウルとポップとカントリーをまたいで実績を残しています。ソウルのコーラス・ワークを知り尽くした二人が、ロックのギター・バンドを手がけた。その組み合わせこそ「Baby Come Back」の質感の正体だといえます。
リヴァプールとテキサスとL.A.──Playerが揃うまで
ベケットは英国リヴァプール出身。プログレッシヴ・ロックのバンド、パラディンを経て、L.A.を拠点にしたスカイバンドに参加していました。そのスカイバンドが解散した1975年、あるパーティーで出会ったのがテキサス出身のJ.C.クロウリーです。二人はリフ・ラフというバンドを組み、のちにバンダナと改名して、ランバート&ポッターが1974年に設立したヘイヴン・レコードから「Jukebox Saturday Night」というシングルを出しました。
ヘイヴンでの活動を経て、ランバート&ポッターは1976年に二人をRSOへ移します。ここで二人はマネージャーのポール・パーマーとともにPlayerとして再出発し、パーマーがベースのロン・モスとドラムのジョン・フリーゼンを連れてきて4人編成が整いました。つまりPlayerは、無名時代からプロデューサー側が見込んで育てたユニットであり、デビュー作の完成度の高さはその積み重ねの結果でもあります。
1977年秋の初ツアーでは、ジノ・ヴァネリ、続いてボズ・スキャッグスの前座を務めました。ちょうど『Silk Degrees』でAORの方向を決定づけたボズの客席で演奏していたことになり、当時の彼らの立ち位置がよくわかる話です。翌1978年にはエリック・クラプトンの北米ツアーにも招かれ、Billboard誌は彼らを1978年の最優秀新人シングル・アーティストに選んでいます。
スタジオの顔ぶれ──4人の外側にいた職人たち
録音はL.A.のウエスタン・レコーダーズとサウンド・ラブズ。クレジットを見ると、4人のメンバーに加えて多くのセッション・ミュージシャンが関わっています。とくにAORファンが反応するのは、のちにクリストファー・クロスのデビュー作をプロデュースするマイケル・オマーティアンの名前でしょう。
| 名前 | 担当 | 補足 |
|---|---|---|
| Peter Beckett | ギター、リード/バッキング・ヴォーカル | リヴァプール出身。主要曲の大半を作曲 |
| J.C. Crowley | ギター、ヴォーカル、キーボード、シンセサイザー | テキサス出身。「Come On Out」を単独で作曲 |
| Ronn Moss | ベース、ヴォーカル | 「Trying to Write a Hit Song」でリードを担当 |
| John Friesen | ドラム、パーカッション | マネージャー経由で加入 |
| Wayne Cook | キーボード、シンセサイザー | 「Baby Come Back」のクラヴィネット等 |
| Michael Omartian | シンセサイザー | セッション参加 |
| Jim Horn | サックス、フルート | L.A.の名セッション奏者 |
| Jay Lewis | エレクトリック/スティール・ギター | 効果音も担当 |
| Reed Kailing | ギター | 3曲で共作者としても参加 |
| Maria Newman | ストリングス・アレンジ | — |
| Jack White | ドラム、パーカッション | フリーゼンと分担 |
| Dennis Lambert / Brian Potter | プロデュース | ヘイヴン時代からの後見役 |
ジム・ホーンのサックスやフルート、ジェイ・ルイスのスティール・ギター、マリア・ニューマンのストリングスといった色付けは、曲ごとに表情を変えるための装置です。バンドの演奏を土台にしつつ、必要な箇所だけ職人の音を足す。70年代後半のL.A.で、ヒット・プロデューサーがロック・バンドを仕上げるときの典型的なやり方が、ここに見えます。
A面からB面へ──10曲の聴きどころ
| No. | 曲名 | 作者 | 時間 | 聴きどころ |
|---|---|---|---|---|
| 1 | Come On Out | Crowley | 3:43 | 軽快なギター・ポップで幕開け。クロウリーの作風がわかる |
| 2 | Baby Come Back | Beckett / Crowley | 4:15 | エレピとクラヴィネットのグルーヴ、サビの厚いハーモニー |
| 3 | Goodbye (That’s All I Ever Heard) | Beckett | 3:44 | ベケットのメロディ・センスが素直に出たミディアム |
| 4 | Melanie | Beckett | 3:39 | 英国出身らしい叙情性。繊細なヴォーカルが活きる |
| 5 | Every Which Way | Beckett / Crowley | 3:34 | 「This Time〜」のB面。二人の共作らしい掛け合い |
| 6 | This Time I’m in It for Love | Larry Keith / Steve Pippin | 4:20 | 外部作家の曲。第2弾シングルでHot 100最高10位 |
| 7 | Love Is Where You Find It | Beckett / Kailing / Crowley | 4:00 | 「Baby Come Back」のB面。ソウル寄りの手触り |
| 8 | Movin’ Up | Beckett / Kailing / Kipner | 2:50 | アルバム中もっとも短いアップテンポ |
| 9 | Cancellation | Beckett / Kailing / Kipner | 4:07 | バンドの演奏力が前に出るロック寄りの1曲 |
| 10 | Trying to Write a Hit Song | R. L. Mahonin | 4:36 | ロン・モスがリード。題名どおりの自己言及的な締めくくり |
注目したいのは6曲目「This Time I’m in It for Love」です。ラリー・キースとスティーヴ・ピッピンの作で、実はPlayer以前にオースティン・ロバーツ(1976年)とシンディ・グレコ(1977年)が録音していましたが、どちらもチャートには入りませんでした。それがPlayerの手で1978年2月に第2弾シングルとして出ると、Hot 100で10位まで上昇します。先行録音がチャートに届かなかった曲をヒットに導いたという点で、ランバート&ポッターの選曲眼とバンドの歌の力がよくわかる1曲です。ゆったりしたテンポで、ベケットとクロウリーの声が交互に前に出る構成は「Baby Come Back」と対になっており、続けて聴くと二人のヴォーカルの個性の違いがはっきりします。
アルバム全体では、A面に2大シングルとベケットのメロディアスな曲を、B面に共作者リード・ケイリングを交えたバンド色の強い曲を集めた構成になっています。B面で耳を澄ますと、ソフトな印象のシングル曲とは違う、ギター・バンドとしての骨格が聞こえてきます。最後の「Trying to Write a Hit Song」をベースのロン・モスが歌い、「ヒット曲を書こうとしている」と題した曲でデビュー作を閉じるのは、全米1位を射止めたアルバムとしては皮肉の効いた幕引きです。
アルバム自体はBillboard 200で最高26位、R&Bアルバム・チャートで32位、カナダでは15位。1978年の年間アルバム・チャートでは62位でした。シングルの大ヒットに比べると控えめな数字ですが、R&B側のチャートにも入ったことは、「Baby Come Back」1曲だけでなくアルバム全体がソウル寄りに受け止められていた証拠といえます。
RSOの1978年と、その後のPlayer
RSOは1978年、アンディ・ギブ「Shadow Dancing」まで含めて年間9曲の全米1位を出し、この記録はいまも他のレーベルに破られていないとされます。Playerはその黄金期の只中でデビューし、同年に2作目『Danger Zone』を発表しました。1978年末以降、グループのメンバー構成は変わっていきます。
その後、ベケットがトニー・ペルーソと共同プロデュースした『Room with a View』(カサブランカ、1980年)、ランバートが再びプロデュースに戻った『Spies of Life』(RCA、1981年)を経て、1982年に解散。1995年に再結成し、1996年に『Lost in Reality』、2013年にはフロンティアーズから『Too Many Reasons』を出しています。メンバーのその後も多彩で、ベケットは1989〜97年にリトル・リヴァー・バンドに在籍、クロウリーはナッシュヴィルでカントリーのソングライター/歌手に転じ、ロン・モスは1987〜2012年に米ドラマ『The Bold and the Beautiful』でリッジ・フォレスター役を演じました。
「Baby Come Back」はその後も歌い継がれ、2018年にはオーストラリアのバンド、オーシャン・アレイがラジオ局Triple Jの企画でカヴァーし、同局の年間投票Hottest 100で16位に入りました。ギブ兄弟の時代のど真ん中で3週間だけ首位を守った曲は、40年を経ても新しい世代に届いています。AORの入口としてこのアルバムを聴くなら、まず2曲目と6曲目を続けて、その後にB面を通して聴くのがおすすめです。
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参考資料
- Player (Player album) – Wikipedia(発売日、録音スタジオ、収録曲、参加ミュージシャン、アルバム・チャート)
- Baby Come Back (Player song) – Wikipedia(成立経緯、首位週、各国チャート、認定、シングル版クレジット)
- List of Billboard Hot 100 number ones of 1978 – Wikipedia(1978年の全米1位の推移)
- RSO Records – Wikipedia(6曲連続・21週首位、1978年の年間9曲の1位)
- Player (band) – Wikipedia(結成の経緯、ツアー、その後の活動)
- Dennis Lambert – Wikipedia(ランバート&ポッターの経歴とヘイヴン・レコード)
- This Time I’m in It for Love – Wikipedia(第2弾シングルのチャートと先行録音)
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