ヒットの後から出た”原曲”──Airplay『Airplay』(1980)

Airplay デビュー作 レビュー
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1980年2月、Airplay の唯一のアルバム『Airplay』が RCA から出たとき、その最後の曲はすでに全米で知られていた。「After the Love Is Gone」——Earth, Wind & Fire が「After the Love Has Gone」として前年7月に発表し、Billboard Hot 100 で2位、1980年2月のグラミーで最優秀 R&B 楽曲賞を獲った曲である。作曲の David Foster と Jay Graydon、作詞の Bill Champlin が受賞者として名を呼ばれたのと同じ月に、本人たちが歌う”原曲”が別のタイトル表記で店頭に並んだ。

同じことが A面4曲目でも起きている。「Nothin’ You Can Do About It」は、Graydon がプロデュースした The Manhattan Transfer『Extensions』(1979年10月31日)に先に収録され、Airplay 版はその4か月後に出た。このアルバムは、他人のヒットになった曲の原曲を、書いた当人が後から差し出した記録なのだ。

Foster は後年「Airplay でさえ、2人のミュージシャンがレコードを作っているという感覚しかなかった」と語っている。この”順番の逆転”が、本作を読み解く鍵になる。

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Airplay - Nothin' You Can Do About It (Official Audio)
目次

キーA の原型と、キーF のヒット——「After the Love Is Gone」

この曲は、Foster が Motown の幹部に素材を聴かせる場で歌詞を忘れ、サビをアドリブで歌ったことから生まれた。Graydon がヴァースを足し、Champlin が詞を書いた。当初は Champlin のソロ作『Single』(1978) に入る予定だったが、Maurice White が気に入り、Earth, Wind & Fire『I Am』へ回された。

Graydon によれば、Airplay 版こそ「ヴァースがキー A の本来の形」である。EWF 版はヴァースを F で歌い、B セクションの途中で転調してサビのキーへ入る。しかもサビでは上のハーモニーが目立つため、聴き手はそれを主旋律だと思い込みやすい——音域が広すぎて1人では歌いにくい、というのが Graydon の不満だった。Airplay 版では Tommy Funderburk と Champlin がリードを分け、Foster 自身がホーン・アレンジを書いた。ヒット曲の”訂正版”を作者が自分の盤で出した、と言ってもいい。

項目Earth, Wind & Fire 版Airplay 版
タイトル表記After the Love Has GoneAfter the Love Is Gone(原題)
発表1979年7月(『I Am』/ ARC-Columbia)1980年2月(『Airplay』/ RCA)
プロデュースMaurice WhiteJay Graydon, David Foster
ヴァースのキーF(B セクションで転調)A(原型)
Billboard Hot 1002位シングル・カットなし
グラミー(1980年2月)最優秀 R&B 楽曲賞 / 最優秀 R&B グループ・ヴォーカル賞—

4か月前に Manhattan Transfer が歌っていた曲

「Nothin’ You Can Do About It」は Steve Kipner の作詞で、Graydon が『Extensions』のためにアレンジし、先に Manhattan Transfer に歌わせた。「向こうはシンセ・ホーンだった」と、Graydon は Airplay 版のほうに自信を持っている。その録音は深夜0時に始まり、朝6時まで続いた。トランペット3本、トロンボーン3本、ARP 2600、クリックなし。ドラムは Jeff Porcaro で、Graydon は「このグルーヴを叩ける人間は他にいなかった。Jeff 本人はシャッフルが叩けないと思い込んでいたが、ファンク・シャッフルとはいえシャッフルだ」と振り返る。Porcaro が叩いたのは10曲中7曲、残る3曲は Mike Baird である。

契約を取ってきたのは「Should We Carry On」のデモ

企画が動き出した最初の1曲は、A面5曲目の「Should We Carry On」だった。1978年、Maureen McGovern のセッションの休憩中に Foster が Fender Rhodes で弾いたフレーズへ Graydon がメロディを乗せ、その日のうちに Graydon の自宅スタジオで1時間ほどで固めた。詞は Foster の妻(当時)B.J. Cook による。

このデモを聴いたのが、Hall & Oates のマネージャー Tommy Mottola である。Foster は当時 Hall & Oates『Along the Red Ledge』を制作中で、Mottola はデモを RCA の Bob Summers に持ち込み、Summers はこの1曲で契約を出した。

契約時に手元にあったのは「Should We Carry On」「After the Love Is Gone」「She Waits for Me」の3曲だけ。Foster がプロデュース中だった Alice Cooper がビーチハウスを1週間貸し、その週に「Stranded」「Cryin’ All Night」「Nothin’ You Can Do About It」「Bix」の4曲が書かれた。

曲ごとに作詞家を替える——6人のリリシスト

10曲の作曲はほぼすべて Graydon/Foster(「Cryin’ All Night」「She Waits for Me」は Graydon 単独)だが、作詞は Tom Kelly、Steve Kipner、Allee Willis、Harry Garfield、Ira Ingber、Bill Champlin の6人に分かれる。2人がトラックを作り、曲ごとに作詞家を当てる分業である。

Stranded——Tom Kelly が初めて「トラックに詞を書いた」曲

オープナーは、Graydon のスタジオでコーラスを歌っていた Tom Kelly に完成済みのトラックを渡し、メロディと歌詞を頼んで出来た。出来上がったトラックに詞を乗せるのは Kelly にとって初めてで、強いドライヴに触発されて短時間で書き上げたという。後に Billy Steinberg と「Like a Virgin」「True Colors」を書く作家の、最初期の仕事である。Graydon のギター・ソロは、クレジット上この曲にだけ明記されている。

Bix——1958年の映画から取った、笑わせるための詞

B面3曲目「Bix」はジャズ・コルネット奏者への献辞ではない。Graydon が Kipner に1958年の映画『High School Confidential!』を観せ、登場する Bix という運転手のセリフから詞を組み立てさせたものだ。Graydon いわく「歌詞は笑わせるためのもの」。ジャズへの敬意という従来の説明は、ここで訂正しておきたい。

「It Will Be Alright」「Leave Me Alone」の Allee Willis は、Foster が EWF『I Am』で組んでいた作詞家である。EWF と Airplay の現場は、ここでも地続きだった。

リードを歌っているのは誰か

Airplay は「Funderburk が歌い、Foster と Graydon が伴奏する」バンドではない。リードは3人で分け合い、Graydon 自身が4曲で歌っている。

#曲リード・ヴォーカルドラム
A1StrandedFunderburkJeff Porcaro
A2Cryin’ All NightGraydonJeff Porcaro
A3It Will Be AlrightFunderburkMike Baird
A4Nothin’ You Can Do About ItGraydonJeff Porcaro
A5Should We Carry OnGraydonJeff Porcaro
B1Leave Me AloneFunderburkMike Baird
B2Sweet BodyFunderburkMike Baird
B3BixFunderburk / ChamplinJeff Porcaro
B4She Waits for MeGraydonJeff Porcaro
B5After the Love Is GoneFunderburk / ChamplinJeff Porcaro

ベースは全曲 David Hungate、シンセのプログラミングは Steve Porcaro ら。A4・B3・B5 には Jerry Hey のホーン隊、A4 には Ray Parker Jr. も加わる。Toto の4人が揃いながら、Steve Lukather の出番は B1・B2 のリズム・ギターだけ——ギターの主役はあくまで Graydon だった。

4つのスタジオ、3人のエンジニア、飛べないギタリスト

録音は1978〜79年、Sunset Sound(基本トラック、Humberto Gatica)、Davlen Sound(Keith Olsen)、Conway と Graydon 自身の Garden Rake(オーバーダブ、Graydon がエンジニア)の4か所。ミックスは Graydon、マスタリングは Bernie Grundman。Boz Scaggs『Silk Degrees』と同じ Davlen を使いつつ、仕上げは自宅に持ち帰る作り方である。

ジャケット写真は Hollywood Burbank Airport で、EWF のツアー機を借りて撮影された。皮肉なのは、Graydon が当時飛行機に乗れなかったことだ。Foster はツアーを望み、Graydon は望まなかった——後に「自分の判断ミスだった」と Graydon は認めている。ツアーなしでラジオの airplay も広がらず、アルバムは商業的に振るわないまま、Airplay はこの1枚で活動を終えた。

再発はほぼ日本でしか行われていない

それでも本作は消えなかった。Discogs の登録を追うと、1986年以降の再発はほぼすべて日本盤である。本国で振るわなかったアルバムを、日本の AOR 市場が繰り返し掘り起こしてきた。

年国形態 / 品番
1980米国LP / RCA Victor AFL1-3099(初版)
1980日本LP / RCA RVP-6456
1986日本初 CD 化 / R32P-1072
2008日本SHM-CD / BVCM-34441
2010日本Blu-spec CD / SICP-20249
2018日本LP / SIJP 69、SACD / SICP 10122

2018年のリマスター盤には「Should We Carry On」「She Waits for Me」と未発表曲「You Can Count on Me」のデモが加わり、本文で引いた回想の多くはそのライナーノーツに拠る。Airplay 名義は1985年の映画『St. Elmo’s Fire』のサントラで一度だけ復活し、Graydon は1993年のソロ作『Airplay for the Planet』で「After the Love Has Gone」を再録した。原曲の作者が、13年後にもう一度自分の版を出したことになる。

原曲から聴き直す

まず B5「After the Love Is Gone」を EWF 版と並べる。ヴァースのキーとサビの主旋律の置き方が違うだけで、同じ曲が別の性格を帯びる。次に A4 を Manhattan Transfer 版と比べれば、生のホーンと Porcaro のシャッフルが何を足したかが聴こえる。そのうえで A1「Stranded」から通せば、Toto のリズム隊が『Toto IV』で完成させる音の、2年前の姿がここにある。

他人に渡した曲を、作者が自分の手に取り戻した1枚。AOR 名盤100選の中でも、作者・演奏者・制作者が同一人物という稀な例である。

参考資料

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本記事は、AORBreeze(aorbreeze.com)が独自に執筆したオリジナルレビューです。本記事中の Amazon/music.jp へのリンクには、アフィリエイトプログラムによる紹介を含みます。

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この記事を書いた人

AORBreeze運営者。Boz Scaggs、Steely Dan、TOTO、Bobby Caldwellを原体験に、70〜80年代のAOR・ヨットロック・シティポップ・フュージョンを聴き続けているリスナー。David FosterやJay Graydonら西海岸セッション人脈に注目し、参加ミュージシャン視点でアルバムを掘り下げています。

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