「最近ハマっているシティポップ、なんだか聴いたことのない新しさがある」——そう感じた人は、実はとても鋭い。なぜなら、いまSpotifyやTikTokで再発見されている1979〜1985年の日本のシティポップは、その「新しさ」の正体を40年以上前のアメリカ西海岸にもっているからだ。竹内まりやの「Plastic Love」がYouTubeのアルゴリズム経由で爆発的に再生され(2019年に2,200万回、2021年には5,500万回を突破)、松原みきの「真夜中のドア〜Stay With Me」が2020年に世界中でバイラル化した。その音を支える設計図こそ、本サイトが追いかけてきたAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)そのものなのだ。
この特集では、「シティポップはどこから来たのか」を、アメリカのAOR名盤を一枚ずつ手がかりにしながら解き明かしていく。模倣の話ではない。洗練された音が海を渡り、東京で翻訳され、やがて世界へ逆輸入された——その往復運動の物語だ。
AORとは何だったのか──都会の夜のための「設計図」
AORは1970年代後半のアメリカで成熟した、ロックの一形態だ。だが「ロック」と呼ぶには静かすぎる。歪んだギターの衝動よりも、和声の洗練・スタジオ録音の精度・大人の感情の機微を主役に据えた。ロサンゼルスの一流セッション・ミュージシャンたちが、寸分の狂いもないグルーヴと、ジャズに片足を突っ込んだコード進行で「都会の夜のためのBGM」を設計していった。
ここで重要なのは、AORが「演奏」より「録音とアレンジ」が主役の音楽だったという点だ。これは、のちに山下達郎が一人で何十トラックも重ねていく多重録音の美学と、深いところで通じている。シティポップが日本で生まれる素地は、まずこの「設計思想」の輸入から始まった。
源流①|ボズ・スキャッグス『Silk Degrees』が運んだTOTOの血脈
シティポップの源流を一枚だけ挙げよと言われたら、多くの愛好家が躊躇なく選ぶのが1976年のボズ・スキャッグス『Silk Degrees』だ。デヴィッド・ペイチ(キーボード)、デヴィッド・ハンゲイト(ベース)、ジェフ・ポーカロ(ドラム)——のちにTOTOを結成する面々が叩き出した、タイトで、それでいて余白のあるリズム。この「抑制の効いたグルーヴ」こそが、日本のアレンジャーたちが教科書として徹底的に研究した音だった。
「Lowdown」の、決して急がないビートの上に都会的なコーラスが乗る感覚。これを日本語の歌に移植できないか——その問いから、東京のシティポップは動き出したと言ってよい。
源流②|スティーリー・ダンの完璧主義とスタジオ美学
スティーリー・ダン『Aja』、そして『Gaucho』、ドナルド・フェイゲンの『The Nightfly』。彼らが持ち込んだのは、ジャズ由来の難解な和声と、納得いくまで何テイクでも録り直す偏執的な完璧主義だった。一見クールで隙のない表面の下に、緻密に計算されたコードと一流プレイヤーの即興が潜んでいる。
このスタジオ至上主義は、山下達郎の「音の一粒まで支配する」制作姿勢と完全に共鳴した。シティポップの楽曲が、聴き込むほどに新しい発見をもたらす——その「情報量の多さ」のルーツは、まさにスティーリー・ダンにある。
源流③|”白いソウル”とメロウ──ネッド・ドヒニーとボビー・コールドウェル
シティポップ特有の「甘く、都会的で、少し物憂げ」な質感は、ブルーアイド・ソウル/メロウと呼ばれる系譜から直接受け継がれている。その象徴が、日本でこそカルト的な人気を誇るネッド・ドヒニー『Hard Candy』(1976)だ。本国アメリカではほとんど無名に終わったこの一枚を、日本のクリエイターたちは聖典のように愛した。
そしてボビー・コールドウェル。「風のシルエット(What You Won’t Do for Love)」が日本で別格の愛され方をしたのは偶然ではない。彼の漂わせる「白人が歌う黒っぽいメロウネス」こそ、シティポップが理想とした体温だったのだ。
源流④|スムースジャズと西海岸の陽光──ジョージ・ベンソン、パトリス・ラッシェン
夜だけでなく、シティポップには「都会の昼下がり」の質感もある。それを支えたのがジョージ・ベンソン『Breezin’』(1976)が確立したスムースジャズの陽光と、パトリス・ラッシェン『Pizzazz』(1979)のダンサブルなグルーヴだ。特に「Haven’t You Heard」の弾むベースラインは、シティポップの躍動する側面——いわゆる”夏のドライブ系”——の直接の祖先と言える。
東京での翻訳──山下達郎・大瀧詠一・竹内まりやがやったこと
ここがこの物語の核心だ。日本のアーティストがやったのは「コピー」ではなく「翻訳」だった。山下達郎はブライアン・ウィルソン的な多重コーラスにAORのタイトなグルーヴを接合し、大瀧詠一は『A Long Vacation』(1981)でフィル・スペクターの壁の音と西海岸の抜けを融合させた。そして竹内まりや「Plastic Love」(1984、編曲は達郎)が、その到達点のひとつとなる。
彼らの独自性は、日本語特有の譜割りと歌謡曲のメロディ感覚を、アメリカ製の和声とリズムの精度に乗せた点にある。さらに歌詞には、湾岸の夜景、首都高、終わらない都会の夏といった「日本の都市の感傷」が描き込まれた。これはアメリカのAORには存在しない要素だ。源流はアメリカでも、咲いた花は紛れもなく東京のものだった。
逆輸入──アルゴリズムが起こした世界的再発見
そして2010年代後半、物語は思わぬ形で一周する。竹内まりや「Plastic Love」がYouTubeのレコメンドに乗って世界中で再生され、松原みきの1979年のデビュー曲「真夜中のドア〜Stay With Me」が、2020年にインドネシアの歌手レイニッチのカバーをきっかけにビルボード規模でバイラル化した。フューチャー・ファンクやヴェイパーウェイヴといったネット文化も、この再発見を後押しした。
なぜデジタル世代に刺さったのか。私見では、生演奏の温度、アナログ録音の豊かな飽和、そして「幸福と空虚が同居する」独特の感情が、打ち込み中心の音に慣れた耳には逆に新鮮だったからだ。AORの洗練は、一周回って最先端になった。源流をたどると、いま流行している音が、実は半世紀の往復運動の果てにあることが見えてくる。
AORとシティポップ、その”違い”も正直に
「シティポップ=和製AOR」という説明は、半分正しく半分は誤りだ。源流を共有していても、両者は別の生き物である。AORはアメリカの大人のロックであり、歌詞は普遍的な恋愛や人生を歌う。一方シティポップは、日本語と歌謡曲のメロディ回路をもち、都市生活の細部を描き、女性ボーカルやアイドル的な回路まで内包する。スラップを多用した躍動するベースが前面に出る点も、シティポップ側の特徴だ。
だからこそ、両方を行き来して聴くと面白い。AORで「設計図」を知り、シティポップで「翻訳の妙」を味わう——この往復こそが、いちばん贅沢な聴き方だと思う。
AORからシティポップへ──架け橋になる名盤ガイド
- ボズ・スキャッグス『Silk Degrees』──すべての出発点。TOTOの血脈とタイトなグルーヴの教科書。
- ネッド・ドヒニー『Hard Candy』──日本のクリエイターが偏愛した、メロウの隠れ聖典。
- ボビー・コールドウェル──”白いソウル”の体温。シティポップが理想としたメロウネス。
- スティーリー・ダン『Aja』 / 『The Nightfly』──聴き込むほど発見がある情報量の源流。
- ジョージ・ベンソン『Breezin’』 / パトリス・ラッシェン『Pizzazz』──昼下がりとダンサブルの祖。
- TOTO『TOTO IV』──設計図を完成形まで磨き上げた到達点。AOR入門にも最適。
おわりに──源流を知ると、音はもっと深くなる
シティポップを「おしゃれなBGM」として消費するのも自由だ。だが、その一曲の背後にボズ・スキャッグスのリズム隊が、スティーリー・ダンのコードが、ネッド・ドヒニーのメロウネスが流れていると知ったとき、同じ曲がまったく違う深さで響き始める。本サイトAORBreezeは、これからこの「シティポップ」というジャンルも本格的に掘り下げていく。源流から最新の再発見まで、音の往復運動を一緒に楽しんでいきたい。
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