1977年3月8日に Atlantic Records から出た Foreigner のデビュー作『Foreigner』は、Billboard 200 で4位、米国だけで500万枚(RIAA 5×プラチナ)を売り、「Feels Like the First Time」「Cold as Ice」「Long, Long Way from Home」の3枚のシングルをすべて Hot 100 のトップ20に送り込んだ。数字だけ見れば順風満帆な出発だ。
ところがこのアルバムの制作過程をたどると、要所要所で「ノー」が突きつけられている。デモ・テープは当の Atlantic を含む複数のレーベルに断られた。スタジオではプロデューサーが1曲を却下し、その穴を埋めるために書かれたのが「Cold as Ice」だった。そしてロンドンで仕上がったミックスをバンド側が却下し、ニューヨークで丸ごと作り直した。
本稿は、この三度の「ノー」を順に追いながら『Foreigner』を読み直す。断られ、却下し、却下されるたびに、このアルバムは少しずつ「売れる形」に近づいていった。
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最初の「ノー」——Atlantic に断られたデモ・テープ
1976年、Spooky Tooth と Leslie West のバンドを経てニューヨークにいた Mick Jones は、マネージャーの Bud Prager に背中を押されて自分のグループを組み始めた。King Crimson の創設メンバー Ian McDonald、Al Greenwood、Dennis Elliott、Ed Gagliardi が揃った。
この段階で録られたデモは4曲。「Feels Like the First Time」「At War with the World」「Woman Oh Woman」、そして「Take Me to Your Leader」である。バンド名は「Trigger」などの候補が仮に使われていた段階で、Jones が「イギリス人3人とアメリカ人3人だから、どこへ行っても必ず外国人がいる」として Foreigner を提案するのは少し後のことだ。
そのデモは、少なくとも3つのレーベルに断られた。そのなかには Atlantic 自身も含まれている。流れを変えたのは、当時 Atlantic の宣伝部にいて A&R への転身を志していた John Kalodner だった。社長 Jerry Greenberg の机にあったテープを聴いた Kalodner は「『Feels Like the First Time』が自分をつかんだ」と語り、A&R 部門の反対を押し切って Greenberg が契約を決めた。
9か月と50人——ヴォーカルが決まるまで
契約以前、Jones が最も苦労したのはヴォーカリスト探しだった。メンバー探しは9か月におよび、およそ50人の歌い手を試したが決め手に欠けた。
鍵は1974年の一枚のレコードだった。ロチェスターのバンド Black Sheep の Lou Gramm は、Spooky Tooth 公演の楽屋で Jones に自分たちのアルバムを手渡していた。Jones はそれを覚えていて、1976年4月に電話をかける。Gramm は一度断ったが、バンド仲間に促されて考え直し、ニューヨーク行きの航空券を受け取った。
オーディションで歌ったのは「Feels Like the First Time」。歌詞を覚える時間は数分しかなかったと本人が語っている。その数分で、9か月続いた空席は埋まった。
二度目の「ノー」——却下された1曲と、その夜の「Cold as Ice」
プロデューサー選びも思いどおりにはいかなかった。Jones は Queen を手がけた Roy Thomas Baker を望んだが、スケジュールが合わない。代わりにやって来たのが、ロンドンの Sarm Studios を所有し、Baker の下で Queen 作品のエンジニアを務めていた Gary Lyons と、その従兄弟 John Sinclair だった。録音は1976年12月に始まり、基本トラックは The Hit Factory で、オーバーダブは Atlantic Recording Studios で行われた。
セッションの途中で、Lyons が候補曲のひとつに「ノー」を出す。この曲は弱い、差し替えるべきだ、と。Jones はその場でピアノに向かい、新しい曲を書いた。それが「Cold as Ice」である。題材は「典型的な冷たい悪女」のイメージと、ニューヨークの凍える冬だったと Jones は言う。
McDonald の記憶では、その曲を録り終えてスタジオを出ると外は猛吹雪で、ニューヨークで記録的に寒い夜だったという。「なんだか良い前兆に思えた」と彼は語っている。デモになかったこの曲が Hot 100 で6位に達し、のちに M.O.P. にサンプリングされるバンドの看板曲になる。二度目の「ノー」が、アルバムで最も長く残る3分23秒を生んだ。
4曲のデモが10曲になるまで——重要曲を追う
デモの4曲のうち3曲はアルバムに収録されたが、「Take Me to Your Leader」だけは落とされ、2002年のリマスター盤にデモ音源として初めて収められた。Gramm は「すぐに意気投合した。最初に一緒に書いたのが『Long, Long Way from Home』と『I Need You』だった」と述べている。
Feels Like the First Time
Jones が結成前にひとりで書いた曲で、Kalodner を動かし、Gramm の採用も決めた。イギリスからアメリカへ移った自身の「再出発」を歌ったと Jones は説明している。アルバムに4日先駆けてシングルとなり、Hot 100 で4位。
Starrider
Greenwood と Jones の共作で、Jones 自身がリード・ヴォーカルを取り、McDonald のフルートが入る。Foreigner らしくない曲だが、King Crimson の元メンバーがいたバンドであることを最も雄弁に示す。
Long, Long Way from Home
ロチェスター郊外からニューヨークへ出てきた Gramm の実体験をもとにした曲で、クラビネットと McDonald のサックス・ソロが骨格をつくる。翌1978年に Hot 100 で20位。McDonald が唯一クレジットを得た曲でもある。
Fool for You Anyway
Jones の単独作で、Gramm が声を張らずに歌う数少ない曲。Jones 自身がお気に入りに挙げる1曲で、『4』の「Waiting for a Girl Like You」に至るバラード路線の原点がここにある。
三度目の「ノー」——ロンドンのミックスを捨てる
録音を終えた後、Lyons と Sinclair はテープをロンドンの Sarm Studios に持ち帰ってミックスした。立ち会いに渡英した McDonald は「ひどかった」と感じたが、どう伝えるべきか迷い、「イエス」と「ノー」を繰り返すことしかできなかったと述懐している。
結局、Jones と McDonald はニューヨークに戻り、Atlantic Recording Studios でエンジニアの Jimmy Douglass とともにアルバム全体をミックスし直した。ただし、プロデュースの役割をめぐる見解は今も一致していない。Lyons は「契約書では John と私が唯一のプロデューサーだ」と主張し、Jones は「共同作業だった」と語る。クレジットが「Lyons and Sinclair, in collaboration with Jones and McDonald」という珍しい書き方なのは、この折衝の痕跡である。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 録音開始 | 1976年12月 |
| スタジオ | The Hit Factory(基本トラック)/ Atlantic Recording Studios(オーバーダブ、最終ミックス) |
| プロデュース | Gary Lyons, John Sinclair(Mick Jones, Ian McDonald との共同作業として表記) |
| ミックス | Jimmy Douglass, Mick Jones, Ian McDonald(Sarm Studios 版を破棄して再ミックス) |
| マスタリング | George Marino(Sterling Sound) |
| バンド | Lou Gramm (vo) / Mick Jones (g, p, vo) / Ian McDonald (g, key, sax, fl) / Al Greenwood (key, syn) / Ed Gagliardi (b) / Dennis Elliott (ds) |
| 客演 | Ian Lloyd(バッキング・ヴォーカル) |
三度の「ノー」の先にあった数字
最初に断った Atlantic にとって、このアルバムは大きな見返りになった。Jones は「Atlantic 史上最も速く売れたアルバムだった」と語っている(本人の言葉で、公式記録ではない)。Prager の「録音前から100万枚は売れると分かっていた」という予測は、はるかに上回る形で実現した。
| 作品 / 楽曲 | チャート | 最高位 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 『Foreigner』(アルバム) | Billboard 200 | 4位 | RIAA 5×プラチナ(米国500万枚) |
| 『Foreigner』(アルバム) | カナダ / オーストラリア / 日本(Oricon) | 9位 / 9位 / 57位 | カナダ、オーストラリアでプラチナ |
| Feels Like the First Time | Billboard Hot 100 | 4位 | 1977年3月4日発売 |
| Cold as Ice | Billboard Hot 100 | 6位 | 1977年7月1日発売 / RIAA ゴールド / 1977年年間68位 |
| Long, Long Way from Home | Billboard Hot 100 | 20位 | 1977年11月23日発売、1978年にピーク |
シングル3枚が3月、7月、11月と間隔を空けて出ている点も見逃せない。1枚を1年近く売り続ける80年代の常套手段が、ここで実践されている。
1977年に「売れないはずだった」ロック
Gramm は当時の空気をこう総括している。「1977年は、ロック・バンドは売れないことになっていた年だった。自分たちのやっていることは流行ではなかったし、批評家は『イメージがない』と叩いた。それが何百万枚も売れたことで、ロック勢に道が開けた」。
Jones は同規模で売れた同時期のデビュー作として Boston を挙げる。Boston『Boston』(1976) が1人の完璧主義者の自宅スタジオから生まれたのに対し、『Foreigner』は断られ、却下し、作り直す集団作業の産物だった。
そしてこのアルバムで McDonald が抱えた不満——「クレジットは1曲だけだが、もっと多くの曲に関わった」——は、4年後に彼と Greenwood がバンドを離れ、4人編成で 『4』(1981) を作る伏線になる。三度の「ノー」で組み上がったバンドは、最初から少し軋んでいた。その軋みごと録音されているのが、このデビュー作の面白さである。
参考資料
- Wikipedia (en) — Foreigner (Foreigner album)(クレジット、チャート、認定)
- Classic Rock / Louder — The real story behind Foreigner’s first album(メンバー、プロデューサーの証言)
- AllMusic — Foreigner『Foreigner』(評価)
- RIAA Gold & Platinum Database(売上認定)
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