1977年から78年にかけてのアメリカのチャートには、いまAORと呼ばれる音がいくつも入っていました。ところが、シングルが全米トップ10に入ったのにアルバムとしてはほとんど語られない作品や、ラジオでは毎日のように流れたのに批評家の名盤リストからは外された作品が少なくありません。この記事で扱う「隠れ名盤」は、知る人ぞ知る無名盤という意味ではなく、ヒット曲の知名度とアルバムの評価がかみ合わなかった10枚のことです。
選んだ基準は三つです。まず1976〜78年の発表であること。次に、レーベル移籍やバンドの解散、ソングライターとしての成功が本人の録音を覆い隠した、といった「隠れた理由」を具体的に説明できること。最後に、他のアーティストによるカヴァーやサンプリング、日本での独自リリース、近年のアナログ再発など、後から光が当たった経緯があることです。各盤ではレーベル、プロデューサー、参加ミュージシャン、チャートの数字を確認できた範囲で示し、そのうえで、どの曲のどこに耳を向けると面白いかを書いています。
80年代の定番を先に押さえたい方は80年代AOR名盤10選を、ジャンル全体の見取り図が欲しい方はAOR名盤ランキング100選を併せてどうぞ。本記事はその両方からこぼれやすい、70年代後半の層を掘り下げる位置づけです。
10枚の基本データ:レーベル、プロデューサー、入口の1曲
チャート順位は米ビルボード誌のもので、確認できたものだけを記載しています。「—」は該当チャートでの記録を確認できなかったことを示します。
| No. | アルバム(発売年) | レーベル | プロデューサー | 入口の1曲(Hot 100最高位) | 後年の動き |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | Player『Player』(1977) | RSO | デニス・ランバート/ブライアン・ポッター | Baby Come Back(1位・3週) | ロン・モスは俳優に、ピーター・ベケットは89〜97年にリトル・リヴァー・バンドへ |
| 2 | Ambrosia『Life Beyond L.A.』(1978) | Warner Bros. | フレディ・パイロ | How Much I Feel(3位) | 2015年にビッグ・ショーンの楽曲がサンプリング |
| 3 | Pablo Cruise『Worlds Away』(1978) | A&M | ビル・シュネー | Love Will Find a Way(6位) | アルバム最高6位。批評家の評価は分かれた |
| 4 | Ned Doheny『Hard Candy』(1976) | Columbia | スティーヴ・クロッパー | Get It Up for Love(—) | 次作『Prone』は日本のみで発売。2014年に英Be Withがアナログ再発 |
| 5 | Andrew Gold『All This and Heaven Too』(1978) | Asylum | アンドリュー・ゴールド/ブロック・ウォルシュ | Thank You for Being a Friend(25位) | 同曲がTVドラマ『ゴールデン・ガールズ』の主題歌に(別歌手による歌唱) |
| 6 | Stephen Bishop『Bish』(1978) | ABC | スティーヴン・ビショップ | Everybody Needs Love(32位) | 作曲した「Separate Lives」が1985年に全米1位 |
| 7 | Loggins & Messina『Native Sons』(1976) | Columbia | ジム・メッシーナ | Peacemaker(シングル順位—) | デュオ最後のスタジオ作。アルバムは最高16位 |
| 8 | Marc Jordan『Mannequin』(1978) | Warner Bros. | ゲイリー・カッツ | Survival(カナダ83位) | 共作曲「Rhythm of My Heart」をロッド・スチュワートが1991年に全米5位へ |
| 9 | Pages『Pages』(1978) | Epic | ボビー・コロンビー | If I Saw You Again(—) | 2024年に欧Music On Vinylが初のアナログ再プレス |
| 10 | Bill LaBounty『This Night Won’t Last Forever』(1978) | Warner/Curb | ジェイ・センター | This Night Won’t Last Forever(65位) | マイケル・ジョンソンのカヴァーが1979年に19位 |
ヒットの陰に置かれた10枚を1枚ずつ
1. Player『Player』(1977)
「Baby Come Back」は1978年1月14日付から3週連続で全米1位を記録し、その年の年間チャートでも7位に入りました。前後の1位はビー・ジーズの「How Deep Is Your Love」と「Stayin’ Alive」。ディスコの大波のど真ん中で、ギター・バンドの哀愁ミディアムが首位に割り込んだことになります。2曲目のシングル「This Time I’m in It for Love」も10位まで上がったのに、アルバム自体の最高位は26位にとどまりました。シングル2曲のバンド、という見られ方が定着したのがこの盤の「隠れ」の出発点です。
リヴァプール出身のピーター・ベケットとテキサス出身のJ.C.クロウリーが1976年にロサンゼルスで結成し、RSOと契約。プロデュースはヒット曲の書き手としても知られたデニス・ランバートとブライアン・ポッターで、録音はウェスタン・レコーダーズほか。マイケル・オマーティアンがシンセサイザー、ジム・ホーンがサックスとフルートで加わっています。その後バンドはカサブランカ、RCAとレーベルを移り、1982年に活動を終えました。ベーシストのロン・モスは俳優に転じて米CBSの長寿ドラマで主要な役を務め、ベケットはリトル・リヴァー・バンドに参加しました。メンバーが別の分野で知られるようになったことも、アルバムが語られにくくなった一因でしょう。
聴きどころは、ヒット曲以外の曲でも崩れないツイン・ヴォーカルのハーモニーです。ベケットとクロウリーという二人のリード・シンガーを抱え、ベースのロン・モスもコーラスに加わる編成で、サビになると声が何層にも重なって厚みが増します。「Baby Come Back」では、抑えた歌い出しから一気にコーラスが広がるサビへの移り方と、その裏で鳴るギターの短いフレーズの出し入れに注目してみてください。アルバム全体の詳しい聴き方はPlayer『Player』の個別ガイドにまとめています。
次に聴くなら:同じ1978年に、甘い声と都会的なグルーヴでAORの典型をつくったBobby Caldwellのデビュー作。ギター・バンドとソウル寄りのシンガーという違いはあっても、メロウな哀愁の質感が近い1枚です。
2. Ambrosia『Life Beyond L.A.』(1978)
アンブロージアは1975年に20世紀フォックス・レコードからデビューし、最初の作品ではアラン・パーソンズがエンジニアを、2作目ではプロデュースを担当しました。メンバー全員がアラン・パーソンズ・プロジェクトの第1作にも参加しており、出自ははっきりプログレッシヴ・ロック側にあります。ワーナー・ブラザース移籍第1弾となる3作目の本作で、彼らはジャズやソフト・ロックの方向へ大きく舵を切りました。この「プログレのバンドなのか、ソフト・ロックのバンドなのか」という像の揺れが、作品評価を定まりにくくしています。
録音は1977年から78年にかけてノース・ハリウッドのママ・ジョーズで行われ、マスタリングはダグ・サックス。プロデューサーはフレディ・パイロで、ゲストにはクルセイダーズのジョー・サンプル(ピアノ)が名を連ね、ストリングス編曲はジミー・ハスケルです。キーボードのクリストファー・ノースは、本作ではメンバーではなくセッション参加の扱いでクレジットされています。デヴィッド・パック作の「How Much I Feel」はHot 100で3位、バンド初のゴールド・シングルとなり、アルバムも最高19位とバンド最大のヒットになりました。ところが2年後の『One Eighty』から「Biggest Part of Me」が同じく3位まで上がり、代表曲の座はそちらへ移ります。本作は「ヒット曲の入った過渡期の1枚」として扱われやすくなりました。
耳を向けたいのは「How Much I Feel」のエレクトリック・ピアノと、パックの細く伸びるハイ・トーンの距離感です。伴奏は音数を抑え、ヴォーカルの息づかいが前に出るミックスになっています。一方でアルバムにはロック色の強い曲や、ジミー・ハスケルの弦が広がる曲も並び、ソフト・ロックとアート・ロックの境目を一枚で聴けるのが面白いところです。2015年にはビッグ・ショーンの「All Your Fault」が「How Much I Feel」をサンプリングしており、ヒップホップ経由で曲を知った世代も生まれています。
次に聴くなら:同じ1978年のワーナー作品で、マイケル・マクドナルドの声が中心にあるDoobie Brothers『Minute by Minute』。ロック・バンドがソウルとジャズの語法を取り込んでいく過程を、別の角度から聴き比べられます。
3. Pablo Cruise『Worlds Away』(1978)
この盤の「隠れ」方は少し特殊です。アルバムはビルボードのアルバム・チャートで最高6位と、バンドのキャリアで最も高い位置まで上がりました。シングルも「Love Will Find a Way」が6位、「Don’t Want to Live Without It」が21位、「I Go to Rio」が46位と3曲がチャート入りしています。商業的には成功した一方で、批評家の評価は分かれました。オールミュージックは5点満点で1.5、ロバート・クリストガウはC評価をつけています。売上と批評の評価が必ずしも一致しなかった一枚です。
パブロ・クルーズは1973年にサンフランシスコで結成され、コリー・レリオスとスティーヴ・プライスはストーングラウンド、ベースのバッド・コッケルはイッツ・ア・ビューティフル・デイの出身です。前作『A Place in the Sun』はプラチナ認定を受け、「Whatcha Gonna Do?」が6位のヒット。本作の録音前にコッケルが脱退し、ブルース・デイが加入しました。プロデュースとエンジニアはビル・シュネーで、1978年2〜3月にサウサリートのレコード・プラントとロサンゼルスのレッドウィング・サウンドで録音。マイク・ポーカロ(ベース)、スティーヴ・ポーカロとジェームズ・ニュートン・ハワード(シンセサイザー)も参加しています。
「Love Will Find a Way」はデヴィッド・ジェンキンスとレリオスの共作で、ピアノのリフが明るく跳ね、ジェンキンスの高めの声がそのうえを伸びていきます。アルバム版は4分11秒、シングル版は3分40秒で、アルバム版で聴くとイントロとエンディングのピアノの余裕が分かります。シングルにならなかったタイトル曲はファンに人気の1曲で、ギターとキーボードの掛け合いが長めに取られ、西海岸のフュージョン寄りの演奏力がよく出ています。
次に聴くなら:ポーカロ兄弟が中核を担ったバンドのデビュー作、TOTO『TOTO』(1978)。同じ年に、同じ人脈のミュージシャンがどんな音を鳴らしていたかが分かります。
4. Ned Doheny『Hard Candy』(1976)
ネッド・ドヒニーはデヴィッド・ゲフィンのアサイラム・レーベルの初期契約アーティストのひとりで、本作はコロンビア移籍後のソロ2作目です。チャートの記録は確認できず、「ヒット曲があるのに語られない」というより「曲は売れたのに本人の名前が出ない」タイプの隠れ方をしています。共作者ハミッシュ・スチュアートが在籍したアヴェレージ・ホワイト・バンドは同じ年に「A Love of Your Own」を録音し、「Get It Up for Love」はデヴィッド・キャシディが1975年に先に録音、1979年にはタタ・ヴェガ版がダンス・チャートのトップ20に入りました。さらにドヒニーとスチュアートの共作「What Cha’ Gonna Do for Me」は、チャカ・カーンが1981年に取り上げてR&Bチャート1位になっています。
プロデューサーはスタックスの名ギタリスト、スティーヴ・クロッパー。録音はハリウッドのクローヴァー・スタジオとサウサリートのレコード・プラントで、デヴィッド・フォスター(キーボード)、ジョン・ゲラン(ドラムス)、ヴィクター・フェルドマン(パーカッション)、トム・スコット(サックス)が並び、コーラスにはドン・ヘンリー、グレン・フライ、J.D.サウザー、リンダ・ロンシュタットの名もあります。日本との縁も深く、1977年に録音された次作『Prone』は1979年に日本のみで発売され、1988年の『Life After Romance』も日本での人気を受けて当地でリリースされました。1990〜93年には横浜のFM局で番組を持っています。
聴くべきはまず「Get It Up for Love」の16分で刻むギターのカッティングと、ホーン・セクションが短く差し込まれるタイミングです。シンガーソングライターの声で、メンフィス・ソウルの骨組みを持ったファンクを歌う、という本作の性格がこの1曲に集約されています。曲ごとの詳しい聴きどころはNed Doheny『Hard Candy』レビューで掘り下げています。
次に聴くなら:本作でキーボードを弾いたデヴィッド・フォスターが、のちにジェイ・グレイドンと組んだAirplay『Airplay』。1976年の手弾きのグルーヴが、80年代の緻密な構築へどう変わったかを追えます。
5. Andrew Gold『All This and Heaven Too』(1978)
アンドリュー・ゴールドは1973年から77年までリンダ・ロンシュタットのバンドに在籍し、彼女の唯一の全米1位「You’re No Good」ではほとんどの楽器を演奏しました。名サイドマンという評価が先に立ち、ソロ・アーティストとしての作品は語られにくい人です。デビュー作『Andrew Gold』(1975)はアルバム最高190位、シングル「That’s Why I Love You」も68位と入口の手がかりが少ないため、ここでは代表曲を2曲含む3作目の本作を選びました。
1978年4月にアサイラムから発売され、プロデュースはゴールド本人とブロック・ウォルシュ。アルバムは全米81位でしたが、「Never Let Her Slip Away」は英国で5位まで上がり(米国では67位)、「Thank You for Being a Friend」は全米25位を記録しました。後者はのちにTVドラマ『ゴールデン・ガールズ』の主題歌に使われますが、番組で流れたのは別の歌手による歌唱です。曲だけが有名になり、録音した本人とアルバムが結びつかない、というずれがここにあります。ドラムスはリック・マロッタ、ラス・カンケル、ジェフ・ポーカロ、ベースにリー・スクラー、サックスにアーニー・ワッツ。弦と木管の編曲はデヴィッド・キャンベルです。
「Never Let Her Slip Away」には、クレジットはないもののフレディ・マーキュリーがJ.D.サウザー、ティモシー・B・シュミットとともにコーラスで参加したとされています。サビで重なる声の層が厚く、ピアノ主体のミディアム・テンポが急に広がって聴こえる瞬間です。ゴールドはヴォーカルに加えてピアノ、ギター、シンセサイザー、パーカッションの多くを自分で演奏しており、ひとりで組み立てた端正なアレンジと、腕利きのドラマー3人の違いを曲ごとに聴き分けるのも楽しみ方のひとつです。
次に聴くなら:コーラスに参加したティモシー・B・シュミットが在籍していた時期のEagles『The Long Run』。同じロサンゼルスの人脈が、よりロック寄りの場でどう鳴っていたかが分かります。
6. Stephen Bishop『Bish』(1978)
スティーヴン・ビショップはアート・ガーファンクルが自作曲を2曲録音したことをきっかけに1976年ABCと契約し、デビュー作『Careless』から「On and On」(11位)、「Save It for a Rainy Day」(22位)がヒットしました。2作目の本作もゴールド認定を受け、アルバム最高35位まで上がっていますが、シングル「Everybody Needs Love」はHot 100で32位どまり。一方でアダルト・コンテンポラリー・チャートでは5位で、ラジオの層によって受け止め方が大きく違った作品です。のちに彼の書いた「Separate Lives」がフィル・コリンズとマリリン・マーティンの歌で1985年に全米1位となり、アカデミー賞歌曲賞にもノミネート。作家としての成功が、本人のアルバムを後ろに押しやることになりました。
プロデュースはビショップ自身で、録音はハリウッドのチェロキー・スタジオとマイアミのクライテリア・スタジオ。ガーファンクル、チャカ・カーン、ナタリー・コール、マイケル・マクドナルドが歌で参加し、キーボードにはグレッグ・フィリンゲインズ、デヴィッド・フォスター、スティーヴ・ポーカロが並びます。「Everybody Needs Love」はレイ・パーカー・ジュニアとマイケル・センベロのギター、ネイザン・ワッツのベース、パウリーニョ・ダ・コスタのパーカッションという編成で、ディスコの時代を意識したリズムになっています。セカンド・シングル「Looking for the Right One」は、ガーファンクルが1975年に先に録音していた曲でした。
「Everybody Needs Love」では、ワッツのベースがはずむように動き、2本のギターが左右で短いフレーズを分け合うのがよく分かります。そのうえでビショップの声はあくまで柔らかく、踊らせる曲というより、軽いリズムの上で歌を聴かせる作りです。曲間にユーモアのある仕掛けもあり、「Vagabond from Heaven」の口笛隊にはキャリー・フィッシャーや映画監督ジョン・ランディスらが加わっています。
次に聴くなら:本作に歌で参加したマイケル・マクドナルドの初ソロ作、Michael McDonald『If That’s What It Takes』。同じ人脈の中で、声の主役がシンガーソングライターからソウル・シンガーへ移っていくのが聴き取れます。
7. Loggins & Messina『Native Sons』(1976)
ロギンス&メッシーナは、コロンビアのプロデューサーだったジム・メッシーナが新人ケニー・ロギンスのデビュー作を手がけたことから生まれたデュオで、「Your Mama Don’t Dance」(4位)などのヒットを持ち、総売上は1,600万枚を超えるとされます。本作は1976年1月に出た6枚目のスタジオ・アルバムで、彼らの最後のスタジオ作となりました。アルバムは最高16位を記録したものの、同じ年にホノルルでの最終公演を経てデュオは静かに解散します。その後ロギンスが80年代に大きなヒットを重ねたため、このデュオ最終作は「ソロ成功の前史」として扱われがちです。
録音はカリフォルニア州オーハイにあるメッシーナの牧場のスタジオで、プロデュースもメッシーナ。それまでの作品と比べてストリングスやフルートが増え、サックスとカントリー色が控えめになった、と整理されています。「Peacemaker」はロギンスが、のちにサンフォード&タウンゼントとして活動するエド・サンフォード、ジョン・タウンゼントと共作した曲で、2人はコーラスでも参加しています。ほかにメッシーナ作の「Sweet Marie」「Boogie Man」、ロギンスが兄ダン・ロギンスと書いたラストの「Native Son」など、2人の作風がはっきり分かれて並びます。
AORとして聴くなら、7分近い「Pretty Princess」の中盤と「Peacemaker」がポイントです。フルートと弦が加わることで、カントリー・ロックの土台にゆったりした空気が生まれ、のちのロギンスのソロ作に通じる都会的な響きが顔を出しています。一方でメッシーナの曲はラテンやロックンロールの要素を軽やかに取り込み、ギターの音色も乾いています。ふたりの作風の違いが並んで記録された1枚として聴くと、デュオ最終作ならではの味わいが伝わってきます。
次に聴くなら:同じ1976年、カントリー・ロック出身のバンドが到達したEagles『Hotel California』。西海岸のロックがどこへ向かおうとしていたかを並べて聴けます。
8. Marc Jordan『Mannequin』(1978)
マーク・ジョーダンは1948年ニューヨーク・ブルックリン生まれで、カナダを拠点に活動したシンガーソングライターです。本人のインタビューによれば、スティーリー・ダンのプロデューサーとして知られるゲイリー・カッツがカナダのCBCラジオ用デモを聴いてすぐに契約し、スティーリー・ダンでいつも起用していた一流のセッション奏者をそろえたといいます。ドナルド・フェイゲンも数曲で制作に関わり、ジャケットにはクレジットされていないもののジェイ・グレイドンがギターを弾いている、とも語っています。
これだけの布陣にもかかわらず、本作はワーナー・ブラザースから出て、確認できる記録はカナダのチャートだけです。アルバムはカナダで83位、「Survival」はカナダのシングル・チャートで83位、「Marina del Rey」はカナダのアダルト・コンテンポラリー・チャートで23位。米国でのヒットには至りませんでした。翌1979年にはジェイ・グレイドンのプロデュースで『Blue Desert』を発表し、こちらが西海岸サウンドの代表作として語られるようになったため、本作はその手前の1枚という位置に置かれがちです。のちにジョン・カペックとの共作「Rhythm of My Heart」がロッド・スチュワートの歌で1991年に全米5位となり、ジョーダンもまた作家としての名前が先に立つ人になりました。
全曲がジョーダンの作です。聴きどころは「Survival」や「Marina del Rey」で、少し鼻にかかった語り口の歌に、乾いた音色のリズム・セクションが一定のテンポで寄り添うところです。和声の動きが凝っているのに、演奏は前に出すぎず、歌詞の情景描写に耳が向くように抑えられています。スティーリー・ダンの冷ややかな質感と、シンガーソングライターの私的な歌が同居する、ほかにあまり例のない1枚です。
次に聴くなら:ゲイリー・カッツがプロデュースしたスティーリー・ダンのSteely Dan『Gaucho』。同じプロデューサーとミュージシャンの層が、どこまで音を磨き込んでいったかを確かめられます。
9. Pages『Pages』(1978)
リチャード・ペイジとスティーヴ・ジョージは、アリゾナ州フェニックスの高校時代からの友人です。1977年にアンディ・ギブのバックバンドに歌とキーボードで加わり、その間に作ったジャズ・フュージョン寄りのデモが、ブラッド・スウェット&ティアーズのドラマーだったボビー・コロンビーの耳に届きます。コロンビーは彼らをエピックと契約させ、プロデュースも担当しました。1978年10月に出たデビュー作は、アルバムもシングル「If I Saw You Again」もビルボードのチャートに入っていません。コロンビーはどのラジオ・フォーマットにも合うと見込んでいたものの、ラジオ局の側がこの音をどの枠に入れるか判断できなかった、と整理されています。
録音はA&Mスタジオやサウンド・シティなど複数のスタジオで行われ、セッションにはフィリップ・ベイリー、デイヴ・グルーシン、マイケル&ランディ・ブレッカー、ヴィクター・フェルドマンらが参加しています。ペイジとジョージはその後、ジェイ・グレイドンのプロデュースによる1981年の3作目までペイジズを続けたのちに解散し、1982年に結成したミスター・ミスターで「Broken Wings」「Kyrie」を全米1位に送り込みます。後の成功が大きすぎたため、出発点のこのアルバムは長く手に取りにくい状態でした。2024年には欧州のMusic On Vinylが、1978年のオリジナル以来初めてのアナログ再プレスを限定盤で出しています。
全32分ほどの短いアルバムですが、「Clearly Kim」や「Room at the Top」ではスティーリー・ダンを思わせるジャズ・ロックの和声が聴け、「This Is for the Girls」「I Get It from You」ではなめらかなバラードに振れます。ジョージはフェンダー・ローズ、ミニモーグ、ヤマハCS-80、オーバーハイムを弾き分けており、曲ごとにキーボードの音色が変わるのも聴きどころです。「I Get It from You」は1981年にハーブ・アルパートが『Magic Man』で取り上げました。
次に聴くなら:同じ2人がポップ・ロックへ舵を切ったMr. Mister『Welcome to the Real World』。ハーモニーの組み方に、ペイジズ時代からの連続性が聴き取れます。
10. Bill LaBounty『This Night Won’t Last Forever』(1978)
ビル・ラバウンティのタイトル曲は1978年7月にシングルとして発売され、Hot 100で65位、アダルト・コンテンポラリー・チャートで46位でした。翌1979年、同じ曲をマイケル・ジョンソンがカヴァーしてHot 100の19位、アダルト・コンテンポラリーで5位まで上げます。曲は残ったものの、ヒットした歌唱はほかの歌手のもの、というずれがこのアルバムの「隠れ」方です。さらに1997年にはソーヤー・ブラウンがカントリー版でホット・カントリー・ソングス6位を記録し、ボブ・ディランが80年代初頭に録音したヴァージョンも2021年の『The Bootleg Series Vol. 16』で公開されました。
レーベルはワーナー/カーブで、プロデュースはジェイ・センター。演奏陣にはジェフ・ポーカロ、マイク・ベアード、ラリー・ロンディン(ドラムス)、レイ・パーカー・ジュニア、リー・リトナー、ディーン・パークス(ギター)、リー・スクラー(ベース)、ラリー・ネクテル(キーボード)が並びます。収録10曲のうち4曲は20世紀レコードから出た前作『Promised Love』に由来し、「Open Your Eyes」と「Crazy」は同じ録音、「Lie to Me」と「I Hope You’ll Be Very Unhappy Without Me」は元の録音に新たな演奏とコーラスを加えたものです。レーベルの移り変わりが曲目に反映された、少し変わった成り立ちのアルバムでもあります。ラバウンティはのちにナッシュヴィルへ移り、カントリーのソングライターとして多くの曲を提供しました。
タイトル曲は、ピアノのコードが静かに刻まれるなか、ラバウンティのややハスキーな声が抑えた音量で入ってくるバラードです。サビで声を張り上げずに、言葉の端を少し引きずるように歌うのが彼の持ち味で、ジョンソン版と聴き比べると、同じメロディーでも歌い手によって夜の温度がまったく違うことが分かります。シングル・チャートにも入った「In 25 Words or Less」(アダルト・コンテンポラリー36位)は、テンポを上げた軽いAORとして本作の明るい側面を担っています。
次に聴くなら:翌1979年に同じワーナーから登場したChristopher Crossのデビュー作。端正なピアノと高い声で、ラバウンティとは逆方向から西海岸の夜を描いた作品です。
どこから聴くか:「隠れた理由」別の3つの順路
10枚を発売順に聴くのもよいのですが、「なぜ語られなかったか」の型で分けると、各盤の個性がより分かりやすくなります。
- ヒット曲から入る順路:Player → Ambrosia → Pablo Cruise。いずれもHot 100のトップ10に曲を送り込みながら、アルバムとしては評価が分かれた3枚です。ラジオで聴いた覚えのある曲から入り、アルバム曲でバンドの演奏力を確かめる流れになります。
- 作家としての名声から入る順路:Stephen Bishop → Marc Jordan → Bill LaBounty → Ned Doheny。他のアーティストが歌ってヒットした曲の「書き手本人の録音」をたどります。カヴァー版と原曲を聴き比べると、各人の歌い方の癖がはっきり見えてきます。
- 人脈と転機から入る順路:Andrew Gold → Loggins & Messina → Pages。サイドマン、デュオの解散、のちの大成功といった経歴の節目にある作品です。参加ミュージシャンのクレジットをたどりながら聴くと、70年代後半のロサンゼルスの人の流れが立体的になります。
どの順路でも、最後に80年代AOR名盤10選へ進むと、ここで名前の出たデヴィッド・フォスター、ジェイ・グレイドン、ポーカロ兄弟らが80年代にどんな音をつくったかへ自然につながります。アナログで集めてみたい方はAORをアナログ盤で楽しむ入門も参考にしてください。
70年代後半の隠れ名盤についてよくある質問
全米1位の曲が入ったPlayerを「隠れ名盤」と呼ぶのはなぜですか?
「Baby Come Back」は3週連続1位、年間7位という大ヒットですが、アルバムの最高位は26位でした。曲名を知っていてもアルバムを通して聴いた人は多くなく、バンドもその後レーベル移籍を重ねて1982年に解散しています。この記事では、曲の知名度とアルバムへの注目度の差が大きい作品を「隠れ名盤」と呼んでいます。Pablo Cruiseのようにアルバムが売れた一方で批評家の評価が分かれた例も、同じ意味で選んでいます。
この10枚はいまでも手に入りますか?
配信の状況は国や時期によって変わるため、ここでは断定しません。現物の再発については、Ned Dohenyの作品が2014年から英国のBe With Recordsでアナログ再発され、Pagesのデビュー作は2024年にMusic On Vinylから限定アナログで再プレスされたことを確認しています。中古盤を探す場合は、オリジナル盤と後年のプレスでジャケットやラベルの表記が異なることがあるので、レーベル名と品番を手がかりにすると見分けやすくなります。手放す側の視点はAORレコードの売り方でまとめています。
もっと網羅的に知りたい人へ ── AOR名盤100選
今回の10枚は、あくまで”入口”。西海岸ヨットロックからジャズ・フュージョン、和モノAORまで100枚を体系的にまとめた AOR名盤ランキング100選|完全ガイド で、あなたの”次の隠れ名盤”を見つけてほしい。
AORの隠れ名盤を通して聴く・手元に置く
気になった作品は、まずサブスクや配信でアルバムを通して聴いてみてほしい。何度も戻ってくる1枚が見つかったら、CDやレコードで手元に置く——AORBreezeがすすめる順番はこれだ。盤で聴くと、セッション・ミュージシャンの細かな演奏やコーラスの重なりに改めて気づくことが多い。
※ 本セクションのリンクにはアフィリエイトプログラムによる紹介を含みます。
参考資料
- Player (Player album) – Wikipedia
- Life Beyond L.A. – Wikipedia
- Worlds Away (Pablo Cruise album) – Wikipedia
- Hard Candy (Ned Doheny album) – Wikipedia
- All This and Heaven Too (album) – Wikipedia
- Bish (album) – Wikipedia
- Native Sons (Loggins and Messina album) – Wikipedia
- Marc Jordan interview – westcoast.dk
- Pages (1978 album) – Wikipedia
- This Night Won’t Last Forever (1978) – billlabounty.com
- Baby Come Back (Player song) — Wikipedia (英語):全米1位(3週)の記録
- 第23回グラミー賞 (1981年) — Recording Academy:Robbie Dupree 最優秀新人賞ノミネート
- Pages (band) — Wikipedia (英語):Richard Page & Steve George、Mr. Mister 結成前史
