1975年、Leon Ware は Marvin Gaye の家で、自分の次のアルバムのカセットを再生していた。仮題は『Comfort』、Minnie Riperton とのデュエットを3曲含む音源である。壁越しにそれを聴いた Marvin が部屋に入ってきて「いま流しているのは何だ」と尋ねた——というのが Ware の語る『I Want You』の始まりだ。二人はその晩、何時間もテープを回し続け、Ware は結局、曲をまるごと譲ることになる。
つまり1976年3月16日に Tamla から出た Marvin Gaye の13作目『I Want You』は、もともと他人のアルバムだった。Ware は半年後、ゼロから書き直した『Musical Massage』を出す。ひとりの作家の1枚分の楽曲が、同じ年に2枚に分かれて世に出た。本稿はこの経緯を軸に、Marvin の声がどこを上書きし、何が Ware の側に残ったのかをたどる。
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カセットが家を移るまで——T-Boy Ross の契約と Berry Gordy の判断
話の起点は Marvin ではなく、Diana Ross の弟 Arthur “T-Boy” Ross である。Ware は1972年に T-Boy と組んで Michael Jackson の「I Wanna Be Where You Are」(Hot 100 で16位、R&B チャート2位)を書いており、1975年にはこの相棒に Motown との契約を取らせるためのデモを録っていた。その1本が「I Want You」だった。
デモを聴いた Berry Gordy は、これを T-Boy ではなく Marvin に歌わせるべきだと判断する。『Let’s Get It On』(1973) の後、Marvin は3年近く新作を出せずにいた。Gordy にはその空白を埋める曲が必要で、Ware にとってはそれが自分のアルバムの1曲目を差し出すことを意味した。
Marvin の側にも、これを「自分の話」として歌う理由があった。当時のパートナーで後に妻となる Janis Hunter に捧げたアルバムだと本人が語っている。Ware の曲を一人称で引き受けられた事情はそれで足りる。
上書きされたハーモニー——Ware と Riperton の声が消えた日付
譲渡は曲だけでなく、録音済みのトラックにも及んだ。「Come Live with Me Angel」のベーシック・トラックは1975年5月23日、Motown Recording Studios の Sunset Room で Ware が録ったものだ。Marvin はその上に1976年1月30日と2月4日、自身のスタジオ Marvin’s Room で歌を入れ、Ware と Minnie Riperton のハーモニー・ヴォーカルは差し替えられた。
Ware 版の原題は「Comfort」——アルバムの仮題と同じで、彼にとって中心の曲だった。Chuck Findley のトランペット・ソロを含む7分36秒の未編集ミックスは、2003年のデラックス盤まで日の目を見なかった。
Since I Had You——「Long Time No See」の歌詞をめぐって
B面3曲目「Since I Had You」は、Ware と作詞家 Pam Sawyer の「Long Time No See」が原型である。Marvin はメロディを気に入ったうえで歌詞の書き直しを求めた。クレジットは Gaye/Ware の共作となり、Sawyer の名前はアルバムに残っていない。原型のデモが公開されるのは25年後である。
After the Dance——締切の数日前に入ったシンセ・ソロ
クロージングの「After the Dance」は1975年9月に「Don’t You Wanna Come?」の仮題で基本トラックが録られ、1976年1月から3月に歌が足された。A面3曲目のインストゥルメンタル版に入る Marvin 自身のシンセサイザー・ソロは、マスター・ミックスを Motown に納める数日前に吹き込まれたものだ。このインスト版は1977年のグラミーで Best R&B Instrumental Performance にノミネートされている(受賞は George Benson)。
Ware の側に何が残ったか——原題と行き先の対照
収録曲を Ware の側から見直すと、それぞれに「元の姿」がある。再発盤クレジットで裏が取れた範囲でまとめた。
| 『I Want You』収録曲 | Ware 側の原型 | 作者 | 原型が聴ける音源 |
|---|---|---|---|
| I Want You | T-Boy Ross の契約用デモ | Ross/Ware | 2003年デラックス盤 Disc 2(undubbed jam) |
| Come Live with Me Angel | 「Comfort」(Riperton とのデュエット) | Hilliard/Ware | 『Musical Massage』2001年以降の再発ボーナス |
| Since I Had You | 「Long Time No See」 | Ware/Pam Sawyer | 同上 |
| After the Dance | 「Don’t You Wanna Come」 | Ross/Ware | 同上 |
| I Wanna Be Where You Are(1:17) | Michael Jackson 1972年のヒット | Ross/Ware | 『Got to Be There』(1972) |
| (未収録)You Are the Way You Are | Ware/Ross のデモ | Ross/Ware | 両アルバムの再発盤に別テイクで収録 |
「I Wanna Be Where You Are」が1分17秒の間奏として扱われている点は象徴的だ。Ware と T-Boy の最初の共作を、Marvin は家族の名前を呼びかける短い挿入曲に作り替えた。
Sunset Boulevard の2つのスタジオと、LA のリズム隊
録音は1975〜76年、Motown の Hitsville West と、Marvin が1975年に Sunset Boulevard に構えた Marvin’s Room の2か所。後者は住居を兼ねたスタジオで、後に『Here, My Dear』もここで録られる。Ware がリズム・アレンジ、Coleridge-Taylor Perkinson がストリングスとホーンを担当し、エンジニアは Fred Ross と Art Stewart。
演奏陣は当時 LA のソウル/ジャズ系セッションで最も稼働していた顔ぶれだ。ドラムは James Gadson、ベースは Chuck Rainey、Wilton Felder ら。ギターには David T. Walker、Dennis Coffey、Ray Parker Jr. に加え、のちに Airplay を結成し AOR のプロデューサーとして知られる Jay Graydon の名がある。Bobbye Hall らのコンガとボンゴが、全編のテンポを実質的に決めている。
タイトル曲について Ware は、Marvin がソファに寝そべったまま歌い、最初はどこにいるのか見えなかったと語っている。77秒のイントロの後に入る声は、確かに立って歌う声ではない。Boz Scaggs『Silk Degrees』と同じ年に同じ街で録られた音が、ソウルの側でどう鳴っていたかの記録でもある。
1976年3月16日以降——数字と、冷ややかだった批評
アルバムは Billboard 200 で4位、Soul Albums で1位。先行シングル「I Want You」は Marvin の37歳の誕生日前日の1976年4月1日に出て、Soul Singles で11曲目の1位、Hot 100 で15位を記録した。
| 項目 | 成績 | 備考 |
|---|---|---|
| アルバム『I Want You』 | Billboard 200 4位/Soul Albums 1位 | 1976年年間チャート: Billboard 200 で53位、Soul Albums で13位 |
| 「I Want You」(1976年4月1日) | Hot 100 15位/Soul Singles 1位 | 1977年グラミー Best R&B Vocal Performance, Male ノミネート |
| 「After the Dance (Vocal)」(1976年7月15日) | Hot 100 74位/Soul Singles 14位 | インスト版が Best R&B Instrumental Performance ノミネート |
| 「I Want You」/「After the Dance」ディスコ用両A面 | Disco Singles トップ10 | Marvin のダンス・チャート初登場 |
| 売上 | 米国で100万枚超(デラックス盤ライナーノーツ、David Ritz) | RIAA データベースに認定記録はない |
1977年のグラミーでは、「I Want You」と同じ Best R&B Vocal Performance, Male の枠に Boz Scaggs「Lowdown」が並んでいた(受賞は Stevie Wonder「I Wish」)。ソウルに接近した白人ロック歌手と同じ部門で競った、1976年らしい一覧である。
当時の批評は厳しかった。Rolling Stone の Vince Aletti は Ware の制作を抑えすぎだとし、ここには「よく隠された種火」程度の熱しかないと書いた。Village Voice の Robert Christgau は C+、NME の Cliff White は「覗き見趣味の喜び」。評価が反転するのは2003年7月29日の2枚組デラックス盤以降で、AllMusic の Thom Jurek は5点満点中4.5点を付け、「Marvin が録音したどの作品にも劣らず必要な1枚」と書いた。
『Musical Massage』——同じ年に出た「もう1枚」
曲を手放した Ware は一から書き直した。1975年8月から1976年7月に録音された『Musical Massage』は1976年9月、Motown 傘下の Gordy から出る。演奏は『I Want You』とほぼ同じ顔ぶれで、バックグラウンド・ヴォーカルには Minnie Riperton、Bobby Womack、そして Marvin Gaye の名がある。
しかしこのアルバムはチャートに入らなかった。Motown の宣伝は乏しかったと伝えられる。初 CD 化は2001年、英国の Expansion Records によってで、そこに「The ‘I Want You’ Sessions」と題した5曲——「Comfort」「Long Time No See」「Don’t You Wanna Come」「I Wanna Be Where You Are」「You Are the Way You Are」——が付いた。Motown も2003年に追随している。
Marvin に譲った音源は、四半世紀を経て Ware のアルバムの末尾に戻ってきた。両方の再発盤を並べると、1本のカセットが2枚に分かれ、また合流するまでの全体像が見える。AllMusic はどちらにも4.5点を付けている。
その後の「I Want You」——Robert Palmer から Kendrick Lamar まで
タイトル曲は Marvin の楽曲の中でも特に引用の多い1曲になった。1991年に Robert Palmer が「Mercy Mercy Me」とのメドレーで英国9位のヒットにし、1995年には Madonna と Massive Attack が Motown のトリビュート盤のために録音し、2022年の Kendrick Lamar「The Heart Part 5」はこの曲をサンプルしている。Ware の書いた曲は、世代ごとに別の名前で流通し続けている。
AOR の耳で聴くなら、「After the Dance」のヴォーカル版とインスト版で Marvin のシンセがどこに置かれているかを聴き比べるのがいい。Ware 自身は1996年に Maxwell「Sumthin’ Sumthin’」を共作し、ネオソウルの側で同じ方法論をもう一度当てた。AOR 名盤100選で扱う LA の音の系譜は、根のひとつをこの「他人のアルバムだった」1枚に持っている。
参考資料
- Wikipedia (en) — I Want You (Marvin Gaye album)(制作経緯・チャート・クレジット)
- AllMusic — Marvin Gaye『I Want You』(Thom Jurek によるレビュー・評価)
- Discogs — Tamla T6-342S1 (1976)(オリジナル盤クレジット)
- Wikipedia (en) — Leon Ware『Musical Massage』(再発盤ボーナス・トラック「The I Want You Sessions」)
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