1本のカセットから──Eagles『Hotel California』(1976)

Eagles Hotel California AOR名盤ガイドのアイキャッチ(レコードモチーフ・ジャケット不使用)
  • URLをコピーしました!

Eagles の5作目『Hotel California』は、1976年12月8日に Asylum Records から出た。Billboard 200 で通算8週1位、RIAA 認定は26×プラチナ。数字を並べれば、アメリカのロック史でも指折りのアルバムであることはすぐ分かる。ただ、このアルバムの表題曲が最初にどんな形で存在していたかを知ると、数字の見え方が少し変わる。

それは Don Felder がマリブの貸家で TEAC の4トラック機に吹き込んだ、歌のないインストゥルメンタルだった。仮の呼び名は「Mexican Reggae」。バンドに渡したカセットには他にも十数曲の断片が入っていて、その中の1曲にすぎなかった。本稿は、この1本のカセットが Henley の声域に合わせて作り直され、電話越しに再生され、アルバムの名前になり、ホテルの写真になり、バンドが受け取りに行かなかったグラミーになるまでを追う。

🎵 表題曲の終盤2分を先に流しておく

本文を読みながら音を流すと、レビューの解像度が上がります。3つのサブスクからお好きなものを:

※ Spotifyは無料プランでも試聴可。Amazon Music Unlimited は 30日無料体験、Apple Music は 1ヶ月無料。

Eagles - Hotel California (Official Video)
目次

マリブの貸家、4トラック機、仮題「Mexican Reggae」

Felder は1975年の夏、マリブの浜辺に借りた家で、12弦ギターとベース、ドラムマシンを重ねたデモを録った。Don Henley がその独特のリズムを「Mexican Reggae」と呼んだことが、仮題の由来である。Felder 本人の記憶では、このとき提出したカセットには15か16のアイデアが入っていた。ほとんどは使われず、この曲だけが残った。

録音までには1年以上が空いている。前作『One of These Nights』(1975) のツアーを終えた1975年12月に、創設メンバーで bluegrass 出身の Bernie Leadon が脱退し、James Gang の Joe Walsh が後任として加入した。ギタリストが2人ともロック畑になった新編成で、バンドは1976年3月から10月にかけて、マイアミの Criteria Studios とロサンゼルスの Record Plant で本作を録音する。プロデューサー Bill Szymczyk によれば、スタジオ入りの時点で完成していた曲は「Try and Love Again」1曲だけで、その前に2週間、丘の上の家を借りてリハーサルをしたという。

Em では高すぎた──2度録音された表題曲

デモは E マイナーで書かれていた。ところがスタジオで Henley が歌い出すと、キーが高すぎて声が裏返りかける。Felder の言葉を借りれば「Barry Gibb のような高い声」になってしまった。バンドは C マイナー、D マイナー、A マイナーを試したうえで、Henley の声に最も合う B マイナーに落ち着く。ギターにとっては決して弾きやすいキーではないが、声を優先した。結果、表題曲はまず E マイナーで丸ごと録音され、その後 B マイナーで一から録り直されている。

歌詞は Henley が大半を書き、Glenn Frey が補った。Frey はこの曲を、疲れた運転手が夜の砂漠で奇妙なホテルにたどり着く一種の映画として構想していたと語っている。Felder のインストが Henley の声域に合わせて4度下げられ、そこに Henley と Frey の物語が乗る。曲の完成形は、カセットの時点ではまだ誰も想像していなかった。

受話器の向こうのラジカセ──ソロはこうして再現された

Hotel California(6:31/Felder, Henley, Frey)

マイアミでのギター録音は、Szymczyk、Felder、Walsh の3人で3日を費やし、少なくとも6本のエレキ・ギターが重ねられた。問題は終盤のソロだった。Henley はデモにあったフレーズをそのまま再現するよう求めたが、1年前に作ったパートを Felder 自身が思い出せない。カセットはロサンゼルスの自宅にある。そこで Felder はマリブの家政婦に電話をかけ、カセットをラジカセに入れて受話器に近づけてもらい、電話越しに流れる自分のデモを一音ずつ聴き取って覚え直した。

その上で Felder(1959年製 Les Paul と1950年代の Tweed Deluxe、Echoplex)と Walsh(Telecaster)がそれぞれのソロ・パートを弾き、最後に短いフレーズを交互に投げ合う。ハーモニーの各パートが奥に、リードが左右前方に置かれた定位は、後年 Szymczyk が5.1chミックスを作った際にもそのまま踏襲された。冒頭でシンバルが揺れるのは、Henley のシンバルをフェイザーに通した Szymczyk のアイデアである。全体で6分半、イントロが1分、中盤でドラムが止まり、末尾に2分のギター・ソロ。Felder 自身は「シングルとして間違った形式だ」と考えていたが、完成版を聴いた Henley は「これが我々のシングルになる」と言った。

曲がアルバムの名になり、ホテルが表紙になった

表題曲が決まると、ジャケットもそれに合わせて作られた。アート・ディレクターの Kosh と写真家 David Alexander は、Sunset Boulevard に面した Beverly Hills Hotel を、夕暮れ時に高さ約60フィートのクレーン車の上から撮影した。帰宅ラッシュの車列の上で、光が落ちるまでの短い時間に高感度のエクタクロームで撮られた1枚である。粒子の粗い仕上げは意図的で、建物の特定を避けるためだった。それでもすぐに場所は知れ渡り、ホテルへの予約問い合わせは発売後に3倍に増えたとされる。

「Hotel California」が実在のどこを指すのかという詮索は当時から絶えなかったが、バンド側は一貫して、カリフォルニアの物質主義とアメリカン・ドリームの裏側を描いた比喩だと説明している。表紙のホテルは象徴であって、モデルではない。

先に1位になったのは「New Kid in Town」だった

アルバムからのシングル3枚のうち、最初に切られたのは表題曲ではない。1976年12月に先行した「New Kid in Town」が1977年2月26日に Hot 100 の1位に立ち、表題曲は2月22日に発売され、5月7日に1週だけ1位になった。3枚目「Life in the Fast Lane」は11位。アルバム自体は発売4週目の1977年1月15日に初めて1位となり、以後 Wings、Stevie Wonder、『A Star Is Born』サウンドトラックと入れ替わりながら、4度にわたって首位に返り咲いた。最後に首位を明け渡した相手が Fleetwood Mac『Rumours』である。

作品Hot 100 / Billboard 200備考
『Hotel California』(アルバム)Billboard 200 1位1977年1月15日に初登頂、通算8週(非連続)/RIAA 26×プラチナ
New Kid in Town1位1976年12月発売、1977年2月26日に1位(1週)
Hotel California1位1977年2月22日発売、5月7日に1位(1週)
Life in the Fast Lane11位1977年5月3日発売

New Kid in Town(5:04/Frey, Henley, Souther)

サビの原型は JD Souther が単独で書き、1年ほど寝かせたのちに Henley と Frey の3人で仕上げた曲である。Henley はこの曲を、恋愛と名声の両方について「誰かが必ず次にやって来て自分たちと入れ替わる」という予感の歌だと説明している。リードは Frey。Walsh は Fender Rhodes と Hammond オルガンを担当し、加入したばかりのハード・ロック・ギタリストが最初のシングルでは鍵盤に回っているのが面白い。この曲は1978年のグラミーで Best Arrangement for Voices を受賞した。

Life in the Fast Lane(4:46/Walsh, Henley, Frey)

Walsh がリハーサル中に手慣らしで弾いていたリフを、Henley と Frey が聞き咎めて曲に組み上げた。加入したギタリストの指癖がそのままアルバムで最もハードな1曲の骨格になった例で、Leadon 在籍時には存在しえなかった音である。

カセットに無かった曲たち──一発録りと、Meisner の最後

Victim of Love(4:11)は、5人がスタジオで同時に演奏し、楽器のパートは1テイクで録られた。後から重ねたのはリードとコーラスのヴォーカルだけである。作曲者の1人である Felder が歌ったテイクもあったが、最終的には Henley のリード・ヴォーカルで収録された。B面の1曲目に置かれたこの曲は、オーバーダブを重ねた表題曲と好対照をなす。

Wasted Time(4:55)には約22人の弦楽器奏者が入っている。譜面を書いた Jim Ed Norman は、Henley がテキサス時代に在籍したバンド Shiloh の仲間で、以来 Eagles のオーケストレーションを担ってきた人物だ。高音の弦を前に、チェロとコントラバスを奥に置いたミックスもここで完成する。A面の終わりに置かれた1分22秒の Reprise は、この弦だけを切り出した間奏で、レコードを裏返す前の余韻として機能している。

Pretty Maids All in a Row(4:05)は Walsh が旧友 Joe Vitale と書き、自ら歌ったバラード。Try and Love Again(5:10)は Randy Meisner が単独で書き、スタジオ入りの時点で唯一完成していた曲だった。Meisner は本作のツアー中の1977年に脱退するため、これが彼の Eagles における最後の作品となる。そして7分25秒のThe Last Resortは、Criteria の隣のスタジオで Black Sabbath が『Technical Ecstasy』を録音しており、その音が漏れたために何度も録り直しを強いられた。Henley が単独で歌う、西へ向かった開拓の歴史と失われた土地への長い挽歌で、ここまでの物語をアルバムの外側の時間軸へ押し広げて幕を閉じる。

受け取りに行かなかったグラミー

1978年2月23日の第20回グラミーで、表題曲は Record of the Year を受賞した。「New Kid in Town」も Best Arrangement for Voices を獲得。Album of the Year にもノミネートされたが、こちらは『Rumours』に渡っている。ところが Eagles はこの授賞式に出席していない。バンドはマイアミでリハーサルの最中で、会場で名前が呼ばれても誰も壇上に上がらなかった。

Record of the Year のトロフィーを Don Henley が実際に受け取ったのは、38年後の2016年2月15日、第58回グラミーの舞台である。その年の1月に亡くなった Glenn Frey を追悼するステージに Eagles が立ち、演奏のあとで授与された。1本のカセットから始まった曲の物語は、この日ようやく形式上の区切りを迎えたことになる。

リリース1976年12月8日 / Asylum Records
録音1976年3月〜10月 / Criteria Studios(マイアミ)、Record Plant(ロサンゼルス)
プロデュースBill Szymczyk
バンドDon Henley (vo, ds) / Glenn Frey (vo, g, key) / Don Felder (g) / Joe Walsh (g, key, vo) / Randy Meisner (b, vo)
弦編曲Jim Ed Norman(Wasted Time ほか)
アートワークKosh(アート・ディレクション)/ David Alexander(表紙写真:Beverly Hills Hotel)
グラミー(1978)Record of the Year 受賞(Hotel California)/ Best Arrangement for Voices 受賞(New Kid in Town)/ Album of the Year ノミネート
認定RIAA 26×プラチナ(米国)

どこから聴き直すか

本作を「完成された名盤」として通して聴くより、表題曲の終盤2分だけを先に聴いてほしい。あの掛け合いが、電話越しに流れたカセットを一音ずつ聴き取った末に組み上げられたものだと知ると、Felder と Walsh の音色の違いが急に具体的なものに聞こえてくる。次に「Victim of Love」。一発録りの荒さと、表題曲の作り込みが同じ5人から出ていることが分かる。1976年の録音として本作を Boz Scaggs『Silk Degrees』と並べて聴けば、西海岸のロックが「歌の後ろで何を鳴らすか」に神経を使い始めた年だったことが見えてくるし、その神経質さの行き着く先が Toto『IV』の精密さだと言ってもいい。カセットの雑音から始まった曲が、その入口に立っている。

参考資料

試聴・購入


続けて読みたい関連記事

本記事は、AORBreeze(aorbreeze.com)が独自に執筆したオリジナルレビューです。本記事中の Amazon へのリンクには、アフィリエイトプログラムによる紹介を含みます。

🎵 AORBreeze メルマガ

無料登録特典:「AOR入門 隠れ名盤30選」PDFをプレゼント。毎週金曜の夜、編集部が選ぶ「今週の1枚」をお届けします。

登録後すぐに特典PDFのDLリンクをお送りします。配信停止はいつでもメール下部から可能です。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

AORBreeze運営者。Boz Scaggs、Steely Dan、TOTO、Bobby Caldwellを原体験に、70〜80年代のAOR・ヨットロック・シティポップ・フュージョンを聴き続けているリスナー。David FosterやJay Graydonら西海岸セッション人脈に注目し、参加ミュージシャン視点でアルバムを掘り下げています。

目次