出さなかった年の翌年、発売週に1位──Stevie Wonder『Songs in the Key of Life』(1976)

Songs in the Key of Life - Stevie Wonder レビュー
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1976年2月、第18回グラミー賞の授賞式。『Still Crazy After All These Years』で Album of the Year を受け取った Paul Simon は、壇上でこう言った——「今年アルバムを出さなかった Stevie Wonder に感謝します」。冗談だが、誇張ではなかった。Stevie は1973年『Innervisions』、1974年『Fulfillingness’ First Finale』で2年連続この賞を獲っており、1975年は新作が出なかった。だから他の誰かに順番が回ってきた、というわけである。

その7か月後の1976年9月28日、Tamla(Motown)から二枚組+EPの『Songs in the Key of Life』が発売される。10月8日付の Billboard 200 に初登場1位。アメリカ人アーティストのアルバムが発売週にいきなり首位に立ったのは、これが史上初だった。そして翌1977年2月、Album of the Year は Stevie の手に戻る。

「出さなかった年」の空白、「出した週」の記録、「出した翌年」の受賞——本稿はこの一本の線に沿って読む。

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Stevie Wonder - Sir Duke (Official Audio)
目次

「出さなかった年」の内側——1975年10月から1976年9月まで

Motown が当初予定していた発売は1975年10月だった。しかし Stevie はリミックスを繰り返し、納期は延び続ける。業を煮やしたというより、待たされる状況そのものを宣伝に変えようとしたのだろう、Motown は「We’re almost finished(もうすぐ完成)」と刷ったTシャツを作った。この一年は、外から見れば沈黙だが、内側では作業が止まっていなかった。

背景には契約の問題もある。1975年8月5日、Stevie は Motown と7年・7枚のアルバムという新契約を結んだ。当時の音楽業界で最大規模とされる契約で、その直前には音楽業界を離れて海外で福祉活動に専念する構想を口にしていた、と複数の資料が伝えている。留まると決めた以上、次の作品は「三部作の続き」では済まない——その圧力が、二枚組でも収まらない分量を生んだ。

録音は1974年から1976年にかけて、Hollywood の Crystal Sound を中心に Record Plant、New York の Hit Factory で行われ、最終ミックスは Crystal Sound。クレジットされた関係者は130人にのぼる。

発売週に1位——Elton John の次は、アメリカ人で最初だった

Billboard 200 で発売週にいきなり1位を取るのは、SoundScan 導入後の1990年代以降なら珍しくない。しかし1976年時点では、それまでに達成したアルバムは Elton John の『Captain Fantastic and the Brown Dirt Cowboy』と『Rock of the Westies』(ともに1975年)の2枚しかなかった。『Songs in the Key of Life』は史上3枚目、アメリカ人アーティストとしては最初の「初登場1位」である。

しかも首位に立ったあと、そこから動かなかった。初登場から13週連続で1位を維持し、年が明けた1977年1月29日付でもう一度1位に戻り、通算14週。1976年のうちに1位を占めた週数は11週で、この年もっとも長く首位にいたアルバムになった。チャート在籍は80週、うちトップ10が35週。1977年の年間アルバム・チャートでは Fleetwood Mac『Rumours』に次ぐ2位だった。

チャート / 認定記録
Billboard 200初登場1位(1976年10月8日付)/ 13週連続1位、通算14週
Billboard 200 在籍80週(トップ10 は35週)
Billboard Top R&B Albums1位(通算20週)
Billboard 年間アルバム(1977年)2位(1位は Fleetwood Mac『Rumours』)
カナダ RPM / オランダいずれも1位(カナダは1976年10月16日付で初登場1位)
RIAAダイヤモンド認定(2005年 / 二枚組のためディスク単位で1,000万ユニット)

シングルにしなかった曲が、いちばん遠くまで届いた

このアルバムから切られたシングルは4枚。「I Wish」と「Sir Duke」が Hot 100 で1位、「Another Star」と「As」が30位台だった。ところが本作でもっとも多くの人が口ずさめる曲は、そのどれでもなく「Isn’t She Lovely」だろう。娘 Aisha の誕生を祝うこの曲は、6分半の尺を7インチ盤に合わせて短くすることを Stevie が拒んだため、米国ではシングルにならなかった。ラジオは勝手にかけ、イギリスでは David Parton のカバーが1977年初頭に4位まで上がっている。

シングル発売Hot 100 最高位備考
I Wish1976年11月1位(1週)グラミー Best R&B Vocal Performance, Male
Sir Duke1977年3月1位(3週)Duke Ellington への献辞
Another Star1977年8月32位George Benson がギターで参加
As1977年10月36位Herbie Hancock が Fender Rhodes で参加
Isn’t She Lovely未発売(米)—短縮を拒否 / David Parton 版が英4位

シングルを出さなかった曲がアルバムの顔になる——この現象自体が、本作が「シングルの寄せ集め」ではなく、通しで聴かれるものとして受け取られた証拠でもある。

二枚では足りなかった——EP「A Something’s Extra」

本作は当初から二枚組として構想されていたが、最終的にそれでも収まらず、4曲入りの7インチEP「A Something’s Extra」が付属した。収録は「Saturn」「Ebony Eyes」「All Day Sucker」「Easy Goin’ Evening (My Mama’s Call)」。ギタリストの Michael Sembello が「Saturn」を共作している。二枚組で17曲、EPを足して21曲——この4曲を「おまけ」と見るか「削れなかった本体」と見るかで、アルバムの印象は変わる。CD以降は本編末尾に収められ、ストリーミングでも21曲通しで聴ける。

130人を呼んで、ひとりで弾く

クレジット上の参加者は130人。それでいて、作曲・編曲・プロデュースはほぼすべて Stevie 自身で、リード・ヴォーカルと大半のバッキング・ヴォーカル、キーボード、ドラムの多くも彼が演奏している。ゲストは「彩り」として的確な場所に置かれた。

  • Herbie Hancock — Fender Rhodes(「As」)
  • George Benson — ギター(「Another Star」)。1977年2月のグラミーで Stevie が Album of the Year を獲ったその夜、Benson は「This Masquerade」で Record of the Year を受賞している
  • Minnie Riperton, Deniece Williams — バッキング・ヴォーカル(「Ordinary Pain」)
  • Bobbi Humphrey — フルート(「Another Star」)
  • Nathan Watts — ベース(複数曲)
  • Michael Sembello — ギター、「Saturn」共作

「ワン・マン・バンド」の作家が、必要な箇所だけ外部の名手を呼ぶ。この方法論は、同じ1976年に Boz Scaggs が『Silk Degrees』でスタジオ・ミュージシャンを核に据えたやり方とは正反対の設計思想で、しかし到達した音像は驚くほど近い。

線の上に置く重要曲

Sir Duke

Duke Ellington への献辞として書かれ、1977年3月にシングル化されて Hot 100 で3週1位。ホーン・セクションのユニゾン・フレーズは、この後のポップ/AORにおけるホーン・アレンジの共通言語になった。

I Wish

先行シングルとして1976年11月に発売、Hot 100 1位。クラビネットのリフとベースが同じ動きをするファンクの構造がこの曲の芯で、グラミーでは Best R&B Vocal Performance, Male を受賞した。

Pastime Paradise

シンセサイザーで弦楽合奏を模した重厚な一曲。1995年、Coolio がこれを下敷きにした「Gangsta’s Paradise」を発表し、原曲は20年の時差を経てもう一度チャートの文脈に戻ってきた。

Knocks Me Off My Feet

ピアノと声を中心に置いたバラードで、本作の中でもっとも AOR の聴き手に近い場所にある。派手なゲストはいない。シングルにもなっていない。それでも、このアルバムから1曲だけ選ぶ人が少なくない。

As

Herbie Hancock の Rhodes が入る7分超のソウル・ナンバー。1977年10月に4枚目のシングルとして切られ、Hot 100 では36位止まりだったが、後年のカバーやライブでの定番化により、シングル成績とは別の評価軸で残っている。

Another Star

George Benson のギターと Bobbi Humphrey のフルートが入る8分超のラテン・ナンバー。1977年8月にシングル化され32位。アルバム終盤で音楽の地図が一気に広がる瞬間で、EPを別にすれば本編の締めに近い位置にある。

翌年2月、賞が戻ってくる

1977年2月19日、Hollywood Palladium での第19回グラミー賞で、本作は7部門にノミネートされ4部門を受賞した。Album of the Year、Producer of the Year、Best Pop Vocal Performance, Male(アルバム)、Best R&B Vocal Performance, Male(「I Wish」)。Stevie は当時ナイジェリアにいて、衛星中継での参加になった。『Innervisions』『Fulfillingness’ First Finale』『Songs in the Key of Life』——自身のスタジオ作3作連続で Album of the Year を獲ったことになる。前年の Paul Simon の冗談は、こうして一年で回収された。

受賞(第19回グラミー / 1977年2月)対象
Album of the YearSongs in the Key of Life
Producer of the YearStevie Wonder
Best Pop Vocal Performance, MaleSongs in the Key of Life
Best R&B Vocal Performance, MaleI Wish

評価はその後も落ちていない。Rolling Stone の「The 500 Greatest Albums of All Time」2020年版では4位、RIAA は2005年にダイヤモンドを認定している。

AORの聴き手にとっての1976年

AORBreeze で1976年を語るとき、起点になるのはたいてい Boz Scaggs『Silk Degrees』である。だが同じ年の9月、Motown の側から、ホーンの書き方、Rhodes の置き方、バラードにおける声の抑制を、この二枚組が一度に提示していた。ジャンルとしての AOR が名前を持つ前に、その語彙の多くはここに揃っている。

「Knocks Me Off My Feet」から「As」へ、続けて「Another Star」。この3曲でアルバムの後半を体験してから「Sir Duke」に戻ると、ヒット曲がどれだけ大きな構造の一部だったかが分かる。AOR 名盤100選で本作を上位に置いている理由も、そこにある。

参考資料

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この記事を書いた人

AORBreeze運営者。Boz Scaggs、Steely Dan、TOTO、Bobby Caldwellを原体験に、70〜80年代のAOR・ヨットロック・シティポップ・フュージョンを聴き続けているリスナー。David FosterやJay Graydonら西海岸セッション人脈に注目し、参加ミュージシャン視点でアルバムを掘り下げています。

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