プラチナを受け取ったドラマーは機械だった──Steely Dan『Gaucho』(1980)

Steely Dan Gaucho AOR名盤ガイドのアイキャッチ(レコードモチーフ・ジャケット不使用)
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1981年1月22日、RIAA は Steely Dan『Gaucho』にプラチナ(米国100万枚)を認定した。発売からわずか2か月。このアルバムには延べ42人以上のミュージシャンが関わったとされるが、認定を受けてプラチナ・ディスクの額を受け取った「演奏者」の中に、人間ではないものが1つ含まれている。エンジニア Roger Nichols が自作したドラム・サンプリング・コンピュータ、Wendel である。

機械にプラチナ・ディスクが贈られた——この一点に、『Gaucho』という作品の性格が凝縮されている。Bernard Purdie、Steve Gadd、Rick Marotta、Jeff Porcaro。当時のニューヨークとロサンゼルスで最高と目されたドラマーを揃えてなお、Donald Fagen と Walter Becker は「完璧なビート」に満足できず、Nichols に機械を作らせた。制作が3年近くに及んだ理由はテープの消失や契約紛争など不運の重なりにもあるが、残った音の均質さを説明する鍵はこの機械にある。本稿は、人間のドラマーと1台の機械がどう役割を分け合ったかを軸に7曲を読む。

🎵 「Babylon Sisters」と「Hey Nineteen」を聴き比べながら

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Steely Dan - Hey Nineteen (Official Video)
目次

1981年1月22日——42人の額縁と、1台の額縁

まず数字を並べておく。『Gaucho』は1980年11月21日に MCA Records から発売され、Billboard 200 で最高9位、1981年の年間チャートでは29位。英国では27位。先行シングル「Hey Nineteen」は Hot 100 で10位、続く「Time Out of Mind」は22位まで上がった。翌1982年2月の第24回グラミーでは Album of the Year を含む3部門にノミネートされた。

項目記録備考
Billboard 2009位1981年 年間チャート29位
UK Albums Chart27位
「Hey Nineteen」Hot 100 10位1980年11月21日発売(アルバムと同日)
「Time Out of Mind」Hot 100 22位1981年3月14日発売
RIAA 認定プラチナ1981年1月22日
第24回グラミー(1982年2月)Best Engineered Recording, Non-Classical 受賞Album of the Year ほか2部門はノミネート

RIAA のデータベースを引くと、認定日は発売の2か月後、1981年1月22日である。同じ日に Wendel にもプラチナ・ディスクが贈られた、と Nichols 自身が後年語っている。スタジオ機材が認定の額を受け取るのは前例のないことだった。Elliot Scheiner の回想によれば、ある日 Nichols は「あのおもちゃが一人前の男になった」と言ってスタジオに現れたという。

「完璧な機械は作れないのか」——Wendel の設計

発端は『Aja』の直後、1978年にさかのぼる。Fagen と Becker は、一流のドラマーであっても数十テイクを重ねるとタイミングにわずかな揺れが出ることに我慢できなかった。Fagen が Nichols に投げた言葉は「完璧に叩く機械は作れないのか」だった。Nichols は制作費から15万ドルの予算を取り、機械を自作した。

当時のリズムボックスと決定的に違うのは、音を合成するのではなく、実際に録音したキック・スネア・ハイハットの一打を 125kHz/12bit でサンプリングして鳴らした点である。演奏済みのトラックからドラムの構成要素を「後から」差し替えられる——Nichols はこれを「デジタル・ドラム・リプレイスメント」と呼んだ。今日の DAW では当たり前の作業だが、1978年には専用機を作るしかなかった。

  • 基盤: CompuPro S-100 コンピュータ/3MHz 8085 プロセッサ
  • サンプリング: 125kHz/12bit(実際のドラム音を収録)
  • プログラム: 8085 アセンブリ言語。スネア1打の打ち込みに30分かかることもあった
  • メモリ: 当時は極めて高価で、クラッシュ・シンバル1音分の RAM が1万2千ドルに達した

Fagen と Becker は後年、この時期を「The Birth of the Cruel」と呼び、Wendel の開発が制作期間を「7か月か14か月」、費用を「数十万ドル」押し上げたと振り返っている。完璧を求めた結果、完璧を作るための道具そのものが遅延の要因になった。

3曲は機械、3曲は人間——7曲の配置図

では、Wendel はどの曲で鳴っているのか。トラッキングとミックスを担当した Scheiner が2021年に語ったところでは、Wendel が基本ビートを担ったのは「Hey Nineteen」「Glamour Profession」「My Rival」の3曲。一方「Babylon Sisters」「Time Out of Mind」「Third World Man」は人間のドラマーがそのまま叩いている。タイトル曲については Scheiner は言及していない。

曲クレジット上のドラマーWendel備考
1. Babylon SistersBernard Purdie—Purdie Shuffle(ハーフタイム)
2. Hey NineteenRick Marotta基本ビートHot 100 10位
3. Glamour ProfessionSteve Gadd基本ビート7分半、アルバム最長
4. GauchoJeff Porcaro不明46テイクから編集
5. Time Out of MindRick Marotta—Mark Knopfler 参加
6. My RivalSteve Gadd基本ビート
7. Third World ManSteve Gadd—Larry Carlton のギター

興味深いのは、Wendel が使われた3曲にも Marotta と Gadd の名前がクレジットされている点だ。機械がビートの骨格を保ち、人間がフィルやニュアンスを乗せる——ドラマーを排除したのではなく、役割を分割したのである。

Babylon Sisters——機械を使わなかった側の頂点

アルバムの1曲目を Wendel ではなく Purdie に委ねたことは、2人の判断として示唆的だ。Purdie のハーフタイム・シャッフルは、ゴーストノートの微細な強弱そのものが音楽であり、サンプルに置き換えると意味を失う。このアルバムの「湿度」は、機械を使わなかった側から立ち上がっている。

46テイクの「Gaucho」と、Keith Jarrett の名前

タイトル曲のドラムは Jeff Porcaro が叩いたが、最終的に残った演奏は46テイクを切り貼りして組み上げたものだった。Porcaro の回想によれば、正午から6時まで同じ曲を延々と演奏し、各パートを一つずつ「決めて」いったという。Wendel を使わない曲でも、要求される精度は機械と同じだった。

なお、この曲の作曲クレジットには、のちにジャズ・ピアニストの Keith Jarrett の名前も加えられています。

消えたテープと、『The Royal Scam』から呼び戻された曲

制作が長引いた理由として最も知られているのは、1979年12月末に起きたテープ消失である。プロデューサー Gary Katz の指示で試聴用にテープを準備していたアシスタント・エンジニアが、「The Second Arrangement」のマスターの約4分の3を誤って消去した。再録音も試みられたが曲は放棄され、公式にリリースされたのは2023年6月——Nichols の娘が2020年に見つけたカセットが元になっている。

「Third World Man」の成り立ちも、この消失と無関係ではない。原型は『The Royal Scam』(1976) のセッションで別の歌詞のもとに録られた「Were You Blind That Day」で、Larry Carlton の証言では、ミックスの最終段階で別のマスターが消えたため古いテープを探した結果、当時のギター・トラックが日の目を見たという。

さらに、完成後もすぐには発売できなかった。1979年3月に MCA が ABC Records を買収したことで、Warner Bros. への移籍を予定していた2人の権利関係が宙に浮き、MCA・Warner・Steely Dan の三者間で法的な争いになった。決着後、MCA は本作を通常より1ドル高い9.98ドルの「スーパースター価格」の試験ケースにし、2人はファンの反発を恐れて反対したと伝えられる。

「Time Out of Mind」——人間の側の到達点

Wendel を使わなかった3曲のうち、シングルになったのが「Time Out of Mind」である。Dire Straits の Mark Knopfler をギターに招いたセッションは、Knopfler 自身が「骨の折れる」ものだったと語る通り、早朝までテイクを重ねた。Knopfler の演奏は15秒しか聴こえないという俗説があるが、実際には曲の半分以上で彼のギターが鳴っている。

バッキング・ヴォーカルには Michael McDonald、Patti Austin、Valerie Simpson が並び、ホーンには Randy Brecker と Michael Brecker、David Sanborn。Boz Scaggs『Silk Degrees』以来ロサンゼルスとニューヨークで交差してきた AOR の人脈が、この4分15秒に集約されている。機械で骨格を固めた「Hey Nineteen」と、人間の揺れを残したこの曲がシングルとして並んだことは、アルバムの二面性を象徴している。

1982年2月、勝った部門と負けた部門

第24回グラミーで『Gaucho』が受賞したのは Best Engineered Recording, Non-Classical だった。受賞者として名が刻まれたのは Roger Nichols、Elliot Scheiner、Bill Schnee、Jerry Garszva の4人のエンジニア。Nichols にとっては『Aja』『FM』に続くこの部門3度目の受賞である。一方、Album of the Year は John Lennon & Yoko Ono『Double Fantasy』が受賞し、『Gaucho』は Al Jarreau『Breakin’ Away』、Quincy Jones『The Dude』らと共に候補に留まった。

エンジニアリングの部門で勝ち、作品の部門で負けた——この結果は、同時代の批評とも重なる。AllMusic の Stephen Thomas Erlewine は、『Aja』の持つ暗く官能的な空気を欠き、精密さが感情を上回っていると書いた。機械にプラチナが贈られたアルバムへの批判として、これほど筋の通ったものもない。一方で Pitchfork は回顧レビューで9.4点を付けており、「精密さ」自体を主題として聴く評価も定着している。

Wendel のその後——『The Nightfly』へ

Steely Dan は1981年6月に活動を停止し、次のスタジオ作『Two Against Nature』(2000) まで約20年の空白が生まれる。だが Wendel の仕事は途切れなかった。Nichols は1981年に 16bit の 8086 版「Wendel II」を完成させ、翌1982年の Donald Fagen『The Nightfly』でそれを使っている。『Gaucho』の設計思想は、バンドが止まったあとも Fagen のソロに引き継がれた。

『Aja』が人間のドラマーの頂点を記録したアルバムだとすれば、『Gaucho』は「人間と機械のどちらが叩いているか、聴き分けられるか」という問いを最初に投げたアルバムである。「Babylon Sisters」の Purdie と「Hey Nineteen」の Marotta+Wendel を続けて聴き比べてみてほしい。どちらが機械かは、表を見なければおそらく分からない。それがこの作品の到達点である。AOR 名盤100選の中でも、これほど「聴き方の指示」を必要とする1枚は少ない。

参考資料

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この記事を書いた人

AORBreeze運営者。Boz Scaggs、Steely Dan、TOTO、Bobby Caldwellを原体験に、70〜80年代のAOR・ヨットロック・シティポップ・フュージョンを聴き続けているリスナー。David FosterやJay Graydonら西海岸セッション人脈に注目し、参加ミュージシャン視点でアルバムを掘り下げています。

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