賞を獲ってから発売された国がある──Sade『Diamond Life』(1984)

Diamond Life - Sade レビュー
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1985年2月11日、ロンドンの Grosvenor House Hotel で開かれた Brit Awards で、Sade の『Diamond Life』は British Album of the Year を受賞した。相手は Frankie Goes to Hollywood『Welcome to the Pleasuredome』、Queen『The Works』、U2『The Unforgettable Fire』、Nik Kershaw『Human Racing』。その16日後の2月27日、このアルバムはアメリカで発売された。米国のリスナーが初めて手に取ったとき、それはすでに「英国の年間最優秀アルバム」だった。

英国での発売は1984年7月16日である。大西洋を渡るのに7か月以上かかり、渡った先ではシングルの順番も、レーベル名さえ違っていた。そして1986年2月25日、第28回グラミー賞で Sade は Best New Artist——「新人」として表彰される。英国発売から数えて19か月後のことだ。

同じ9曲が、英国では1984年の、アメリカでは1985年の作品として生きた。この記事は、そのふたつの暦のずれから本作を読む。

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Sade - Smooth Operator (Official Video)
目次

7月16日と2月27日——ひとつの盤に、ふたつの発売日

英国盤は Epic Records、米国盤は CBS 傘下の Portrait Records から出た。曲目は同じだが、米国では名前の読み方さえ知られておらず、レコード会社は盤面に「Pronounced Shar-day」と読み仮名を刷った。日本語で「シャーデー」と書き添えるのと同じ事情が、英語圏にもあった。

7か月の遅れには段取りがあった。米国側の A&R 担当 Cliff Crist は、まず R&B 局とブラック・ミュージックの聴衆に届けてから白人層へのクロスオーバーを狙う方針を取り、アルバムに先立って1984年9月にシングル「Hang On to Your Love」だけを米国で先行させた。英国で3枚が出終わった頃、アメリカは4枚目から Sade を知り始めた。

「長すぎる、ジャズすぎる」——最初にデモを聴いた会社の返事

Sade Adu はナイジェリアの Ibadan 生まれ。Saint Martin’s School of Art でファッションを学び、モデルの仕事をしながらロンドンのラテン・ファンク系バンド Pride にバック・ヴォーカルとして加わった。そこで Stuart Matthewman(サックス、ギター)、Paul Denman(ベース)、Paul Cooke(ドラム)と出会い、Pride 内部のサイド・プロジェクトとして Sade 名義の活動が始まる。初ステージは1982年12月、Ronnie Scott’s。翌年半ばに Andrew Hale(キーボード)が加わった。

プロデューサーの Robin Millar が「Smooth Operator」と「Your Love Is King」を含むデモを録り、各社に持ち込んだ。Millar の回想によれば、返事は「曲が長すぎる、ジャズすぎる」。電子ドラムが席巻していた1983年のロンドンで、生のリズム隊にサックスが乗る音は古く見えた。

流れを変えたのは雑誌『The Face』の表紙とクラブ Heaven でのライブで、今度は各社が競り合いになった。1983年10月18日、Adu は Epic と契約する。Classic Pop 誌の取材によれば、作品の決定権を本人が持ち、バンドと Millar を制作から外さないことが条件だった。

録音はロンドンの Power Plant Studios で6週間。メンバーに本格的なスタジオの経験はなかった。Millar は生ピアノと Fender Rhodes を手作業で同期させたと語っている。オートメーションのない卓で「Cherry Pie」をミックスした際は全員が担当を割り振られ、Matthewman によれば「卓に6人が同時に手を置いていた」。

シングルの順番は、大西洋で入れ替わった

英国では「Your Love Is King」がアルバムに先立つ1984年2月25日に出て、UK 6位。5月の「When Am I Going to Make a Living」が36位、アルバム発売後の9月に切られた「Smooth Operator」が19位。英国では「Smooth Operator」が3枚の中でいちばん順位の低いシングルだった。

アメリカでは逆になる。先行の「Hang On to Your Love」は R&B 局で足場を作り、1985年2月の「Smooth Operator」が Billboard Hot 100 で5位(5月に2週)、Adult Contemporary チャートで1位、R&B チャートでもトップ10に入った。1985年6月にようやく「Your Love Is King」が出るが、Hot 100 では54位止まり。英国で最初に売れた曲が、アメリカでは最後に出て、いちばん売れなかった。

シングル英国発売 / 順位米国発売 / 順位
Your Love Is King1984年2月 / UK 6位1985年6月 / Hot 100 54位
When Am I Going to Make a Living1984年5月 / UK 36位—
Smooth Operator1984年9月 / UK 19位1985年2月 / Hot 100 5位・AC 1位
Hang On to Your Love—(英国では4枚目扱い)1984年9月 / 米国での最初のシングル

英国は本作を「Your Love Is King のアルバム」として、アメリカは「Smooth Operator のアルバム」として受け取った。後者の印象が定着したのは、米国での成功が世界の定番を決めた結果である。

9曲を、ふたつの暦で聴き直す

LP と CD は9曲・44分31秒。英米での受け取られ方の違いが見える曲を中心に追う。

Smooth Operator(4:58)

Adu と Ray St. John の共作。書かれたのは1982年、ふたりがまだ Pride にいた頃で、St. John はその後の Sade には加わっていない。バンド結成前に出来ていた曲がデモの目玉になり、結局は米国での顔になった。Julien Temple 監督のビデオは1985年の MTV Video Music Awards で2部門にノミネートされた。

Your Love Is King(3:41)

Matthewman のサックス・ソロを含むバラードで、英国での最初のヒット。デモ段階から「Smooth Operator」と並ぶ2本柱だった。

Hang On to Your Love(5:55)

アメリカが最初に聴いた Sade はこの曲で、重心の低いベース・ラインが R&B 局で受け入れられた。6分近い曲を先行させた判断は、ラジオ向けの短さより R&B 層への訴求を優先したものだった。

When Am I Going to Make a Living(3:27)

Adu がクリーニング店で服を受け取った際に金がなく、引換券の裏にタイトルを書き付けたことから生まれた曲。英国では2枚目のシングルで36位、米国ではシングルにならなかった。ファッション誌の表紙を飾った直後の人物が、無一文の経験を歌っている。

Sally(5:23)

デモの2曲のあと、アルバム用に最初に録音されたのがこの曲で、題材は Salvation Army である。最小限の編成で、バンドの優先順位がよく出ている。

Cherry Pie(6:20)

4人全員のクレジットによる本作最長の曲。前述の「6人で卓を触った」ミックスの対象である。

Why Can’t We Live Together(5:28)

Timmy Thomas の1972年の曲のカバーで、アルバムを閉じる。原曲はリズム・ボックスとオルガンだけの簡素な作りだが、Sade は生のリズム隊とサックスで置き換えた。1972年の曲で締めくくったこと自体が、このバンドの参照点を示している。

2月11日の Brit、2月25日の Grammy——19か月かけて「新人」になる

1985年の Brit Awards で、Sade は British Album of the Year のほか、「Smooth Operator」で British Single、Adu 個人で British Female Solo Artist にもノミネートされ、計3部門に名前が挙がった。この時点で、米国盤はまだ店頭にない。

アメリカでの1985年は、2月の発売から始まり、5月の Hot 100 5位、7月の Live Aid 出演を経て、11月にはセカンド『Promise』が出て UK と Billboard 200 の両方で1位に達する。そして翌1986年2月25日、第28回グラミー賞の Best New Artist に Sade が選ばれる。他のノミネートは a-ha、Freddie Jackson、Katrina and the Waves、Julian Lennon。Adu 本人は会場におらず、プレゼンターの Whoopi Goldberg と Billy Crystal が代理で受け取った。

英国で「年間最優秀アルバム」の勲章がついたバンドが、アメリカでは翌年に「最優秀新人」として表彰される。しかも受賞時には次のアルバムが米国で1位になっていた。この時間差が『Diamond Life』の履歴書である。

項目内容
英国発売1984年7月16日 / Epic Records
米国発売1985年2月27日 / Portrait Records
録音Power Plant Studios(London)、約6週間 / プロデュース Robin Millar
アルバム・チャートUK 2位 / US Billboard 200 5位 / US R&B アルバム 3位 / オーストリア、フランス、西ドイツ、オランダ、スイス、ニュージーランドで1位
認定BPI 4×プラチナ(1987年3月2日、120万枚) / RIAA 4×プラチナ(1995年2月2日、400万枚)
Brit Awards 1985British Album of the Year 受賞(1985年2月11日)
Grammy 1986Best New Artist 受賞(第28回、1986年2月25日)
収録LP/CD 9曲 44:31。一部カセット盤は「Smooth Operator / Snake Bite」(7:28)と「Love Affair with Life」を加えた10曲 51:36

10曲目は、カセットにしか入っていない

米国とカナダの初回カセットは LP と同じ9曲だが、一部のカセット盤では1曲目が「Smooth Operator」に「Snake Bite」を続けた7分28秒の長尺版に差し替えられ、末尾に Adu と Ray St. John 共作の「Love Affair with Life」(4:35)が加わって10曲51分36秒になる。同曲はもともと「Your Love Is King」のシングルのカップリングで、St. John が Sade に残した曲はこの2曲だけである。

AOR の棚で、このアルバムはどこに置かれるか

New York Times の Stephen Holden は当時、本作を「英国ポップを支配するシンセサイザーを避け、Steely Dan のロック・ジャズと Joan Armatrading のフォーク・ポップを掛け合わせたような音楽」と評した。AOR の聴き手が違和感なく聴けるのは、厚いシンセ・レイヤーを退け、Rhodes とベースとサックスで空間を作る設計が、70年代後半のウェストコースト作品と同じ発想に立っているからだ。Bobby Caldwell『Heart of Mine』を続けて聴くと、声を置くために伴奏を空ける判断が同じだとわかる。

聴く順番は、英国の暦に合わせて「Your Love Is King」から入り、次に「Smooth Operator」を勧めたい。1984年のロンドンで何が先に届いたかを追うと、このバンドがサックスのリフではなく、抑えた歌の温度で売れ始めたことが見えてくる。AOR 名盤100選の中で、この盤は MTV の10年の外側に、独立した場所を持っている。

参考資料

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本記事は、AORBreeze(aorbreeze.com)が独自に執筆したオリジナルレビューです。本記事中の Amazon/music.jp へのリンクには、アフィリエイトプログラムによる紹介を含みます。

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この記事を書いた人

AORBreeze運営者。Boz Scaggs、Steely Dan、TOTO、Bobby Caldwellを原体験に、70〜80年代のAOR・ヨットロック・シティポップ・フュージョンを聴き続けているリスナー。David FosterやJay Graydonら西海岸セッション人脈に注目し、参加ミュージシャン視点でアルバムを掘り下げています。

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