千の傷で死んだ盤──Ned Doheny『Hard Candy』(1976)

Ned Doheny Hard Candy AOR名盤ガイドのアイキャッチ(レコードモチーフ・ジャケット不使用)
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「Hard Candy はあの祭壇の上で、千の傷を負って死んだ」——Ned Doheny は2015年、英国の音楽サイト Test Pressing のインタビューで、自身の2作目をそう総括した。祭壇とは Columbia Records のことだ。1976年、同じレーベルは Boz Scaggs『Silk Degrees』を500万枚に押し上げ、Doheny を「Scaggs と Walter Egan と同じ枠」に入れた。枠に入れられた側の盤は、シングル2枚が鳴らないまま静かに棚から消えた。

ところが、このアルバムの核である「A Love of Your Own」は、同じ1976年に共作者 Hamish Stuart の Average White Band『Soul Searching』にも入り、そちらは Billboard 200 で9位、RIAA プラチナに達した。同じ曲が、同じ年に、片方では100万枚の一部になり、片方では「千の傷」を負った。そして死んだはずの盤は、本国では一度しかプレスされないまま、日本で再発を重ねる。本稿は「千の傷」という本人の言葉を起点に、なぜ死んだのか、どこで生き延びたのかを追う。

🎵 「A Love of Your Own」を2つの版で流してから

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Ned Doheny - A Love of Your Own (Official Audio)
目次

「千の傷」——本人が語る1976年のすれ違い

Doheny は1948年 Malibu 生まれ。Jackson Browne の推薦で David Geffen の Asylum Records に迎えられたが、1973年のデビュー作『Ned Doheny』は売れず、1975年、A&R マン Lorne Saifer の誘いで Columbia に移籍する。

問題は、Columbia がその年に何を抱えていたかである。1976年2月、同じレーベルから『Silk Degrees』が出た。Numero Group の評伝によれば、Scaggs の「Lowdown」が Columbia の「白人ソウルのヒット枠」を埋め、翌年分の予算は Walter Egan のシングルに割り当てられていた。『Hard Candy』の宣伝費は、後述するジャケット撮影でほぼ使い切られていたという。「A Love of Your Own」も「If You Should Fall」もラジオで反応を得られず、アルバムは沈んだ。

本人の分析は、もう少し根が深い。Asylum 時代から自分は「別の惑星から来た人間」で、歌詞と旋律を競う同僚たちに対し、同じ作曲感覚を「より大きなリズムの文脈」に持ち込もうとした。グルーヴとの関係が自分を仲間から隔て、それが「いまも人が Hard Candy を聴く理由」でもある、と。売れなかった理由と聴かれ続ける理由が同じ場所にある——それがこの盤の捻れである。

同じ年、同じレーベル、同じ写真家

「Scaggs と同じ枠」は比喩ではなかった。『Hard Candy』のジャケットを撮った Moshe Brakha は、『Silk Degrees』の海辺のジャケットを撮ったその人である。Columbia はデビュー作の Henry Diltz に代えて、Scaggs の盤で成果を出したばかりの Brakha を起用した。

撮影地は Baja California 南端の Hotel Palmilla。Brakha は後年こう振り返る。「あの頃はアシスタントを連れて行くことすらできなかった。ウェイターの一人に頼んで、彼に水をかけてもらった」。あの有名な一枚は、ホテルの従業員が撒いた水でできている。『Silk Degrees』の記事で書いたように、あちらは Cleveland の DJ が「Lowdown」をかけた偶然が500万枚に化けた。こちらには、その偶然が来なかった。

1時間半でできた曲が、先に AWB のプラチナ盤へ

「A Love of Your Own」の成立は1974年秋に遡る。Average White Band が Los Angeles に滞在していた時期に Doheny は Hamish Stuart と知り合い、ふたりが Doheny の家で「いじっているうちに」できたのがこの曲だった。本人の回想では「1時間半ほど」の作業で、Stuart がブリッジを、Doheny がヴァースの旋律の大半を書いた。数日後に録られたデモが、Warner の Artie Wayne の手で業界に回る。

ここから曲は二手に分かれる。AWB は Arif Mardin のプロデュースで『Soul Searching』に5分28秒のヴァージョンを収録。Doheny は『Hard Candy』B面1曲目に3分46秒のヴァージョンを置き、Stuart もコーラスで参加した。Cropper のギター、Tower of Power のホーン、Victor Feldman のヴィブラフォンが入る。

項目Average White Band 版Ned Doheny 版
収録アルバム『Soul Searching』(Atlantic)『Hard Candy』(Columbia PC 34259)
発売1976年6月24日1976年
プロデュースArif MardinSteve Cropper
演奏時間5:283:46
アルバム成績Billboard 200 9位 / R&B 2位 / RIAA プラチナ—(本人いわく「千の傷」)
シングル1977年、Hot 100 101位 / R&B 35位ラジオで反応得られず

AWB 版もシングルとしては Hot 100 の101位止まりで、曲がヒットしたのではなく、プラチナ・アルバムの一部として100万枚に運ばれた。同じ曲でも、乗る盤で行き先が変わる。なお旧稿で本作収録としていた「What Cha’ Gonna Do for Me」は本作には入っていない。ふたりが後に共作し、Chaka Khan が1981年に R&B チャート1位へ運んだ曲である。

Clover Studios——Oakland の管と Asylum の旧友

Cropper がプロデューサーに就いた経緯も、あのデモだった。Booker T. & the M.G.’s のギタリスト Cropper は、Wayne が配ったテープに耳を留めたと Numero の評伝は見る。すでに5曲がデモ化されており、「半分できたアルバム」を Cropper が引き取った形になる。セッションは1975年秋、Hollywood の Clover Studios。本人の言葉では「曲はもうできていたから、すべてが速やかに進んだ。大金は使わなかったし、何も悩まなかった」。顔ぶれは三層に分かれる。

  • Doheny の常連:Gary Mallaber(ドラム、9曲中8曲)、Ernie Corallo(ギター)、Dennis Parker ほか(ベース)
  • Cropper が持ち込んだ側:Steve Cropper(ギター、コーラス)、Tower of Power ホーン・セクション(Greg Adams 編曲)、David Foster(鍵盤)、Victor Feldman(パーカッション)、Chuck Findley / Jim Horn / Tom Scott(管)
  • Asylum の旧友:Don Henley、Glenn Frey(「If You Should Fall」のコーラス)、J.D. Souther、Linda Ronstadt(「When Love Hangs in the Balance」のコーラス)

旧稿に並んでいた Steve Lukather、David Paich、Larry Carlton らの名前は、本作のクレジットには存在しない。『Silk Degrees』との血縁は、人脈ではなく同じレーベル・同じ写真家・同じ年という条件のほうにある。

「傷」の側から聴く2曲

Get It Up for Love——Glenn Frey が欲しがった曲

A面1曲目(4:44)。David Cassidy が1975年に『The Higher They Climb』で先に録音し、シングルにもした曲。着想は Dr. John のギター・パートにあったという。Frey は歌詞が完成する前に共作を申し出た。Doheny は断り、後年「一緒に書いていれば経済的にはずっと面白いことになっただろうが、これほど良い曲にはならなかった」と語っている。

On the Swingshift——ロンドンで裏面になった曲

B面3曲目(3:03)。「スウィングシフト」は午後3時から深夜までの交代勤務のことで、Troubadour で何かが起きるのを待っていた夜々をそう呼んだ。後年ロンドンで『Prone』の「To Prove My Love」がクラブで回った際、CBS が出した12インチの裏面に本作から選ばれたのがこの曲——「千の傷」の盤から最初に英国のクラブへ渡った曲である。

1978年春、雨の Laurel Canyon に掛かってきた電話

Columbia は1976年末に3作目『Prone』を録らせたが発売を見送り、1978年に契約を打ち切った。Red Bull Music Academy のインタビューで彼は、その春を「3か月間、雨が降り続いた」と回想する。そこに日本のプロモーターから電話が入った。「他に何もなかったから、まあいいか、と思った」。

1978年秋の来日は東京・大阪・福岡の3公演。大阪ではホテルの前に数百人が集まり、ヴァンを降りた本人が取り囲まれた。翌1979年、Sony は本国で棚上げされた『Prone』を日本だけで発売する。「日本の人たちが最初に、私のやっていることに反応してくれた。彼らは R&B の猟犬なんだ」——本人の説明である。

米国盤は一度きり——版歴で見る「日本のアルバム」

「千の傷」の後にこの盤がどこで生きたかは、Discogs に登録された版を並べるといちばん早い。米国では1976年の Columbia 盤以降、正規の再発は登録されていない。日本では1977年の CBS/Sony 盤から2021年の限定 LP まで、10種を超える版が出ている。

年国レーベル / 品番形態
1976米国Columbia PC 34259LP(唯一の米国盤)
1977日本CBS/Sony 25AP 332LP、日本初回盤
1982 / 1983日本CBS/Sony 20AP 2328 ほかLP 再発
1989日本CBS/Sony 25DP 5528CD 初出(以後1990・1994年に再発)
2005〜2016日本Sony MHCP 761 ほか紙ジャケット、Blu-spec CD 等の限定 CD
2014英国Be With Records BEWITH003LP180g LP、公式ライセンス復刻
2021日本Sony SIJP 1034 / SIJ7-1001限定 LP(通常盤とクリア・ヴァイナル)

英国での復活は日本より遅く、別の経路をたどった。「To Prove My Love」がクラブで回り、2014年にロンドンの Be With Records が『Hard Candy』をカタログ3番として復刻、Doheny は2015年3月に初めて英国のステージに立った。同じ年、Chicago の Numero Group は編集盤『Separate Oceans』を編んだ。本人はこの動きを「こんなに時間がかかったのが不可解だ」と評している。日本盤の中古相場は状態と帯で動くため数字は書かないが、AOR レコードを売る前に確認したい点の判定基準はこの盤にも当てはまる。

『Silk Degrees』の隣に置き直す

『Hard Candy』を AOR の棚に置くなら、『Silk Degrees』の真横でよい。理由は「同じセッション・ミュージシャン」ではなく、同じ年に同じレーベルから同じ写真家のジャケットで出て、片方だけが拾われた——その差を並べて確かめるためである。「A Love of Your Own」を AWB 版と続けて聴けば、「千の傷」の正体が曲の弱さではなく、乗った盤の運の差だったことが分かる。そこから同じ Asylum 出身者の『Hotel California』へ戻るか、AOR 名盤100選で本国で沈んで日本で生きた盤を探しに行くか。この盤は良い分岐点になる。

参考資料

試聴・購入

🎧 サブスク試聴(無料〜月¥1,000程度)

本作は Spotify、Apple Music、Amazon Music Unlimited すべてで配信中。Numero Group 再発時にリマスタリングされたバージョンが標準配信されており、音質は良好です。まず1曲試聴したい方は “A Love of Your Own” から。3分半のスローバラードで、本作の世界観が一気に伝わります。

💿 CD / レコード購入

  • 輸入CD(Numero Group盤など): 入手しやすく音質も安定、¥2,000〜¥3,500
  • 国内盤CD(Sony Music Japan): 紙ジャケット仕様の高音質盤、¥3,000〜¥5,000、ライナーノーツも充実
  • 180g重量盤レコード: ¥4,500〜¥7,000、オーディオファイル向け
  • 1976年オリジナル米盤: ¥3,000〜¥8,000(状態次第)
  • 1976年日本盤帯付き: ¥10,000〜¥25,000(コレクター向け)

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この記事を書いた人

AORBreeze運営者。Boz Scaggs、Steely Dan、TOTO、Bobby Caldwellを原体験に、70〜80年代のAOR・ヨットロック・シティポップ・フュージョンを聴き続けているリスナー。David FosterやJay Graydonら西海岸セッション人脈に注目し、参加ミュージシャン視点でアルバムを掘り下げています。

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